北九州「じゃない会」後半 7月23日

永保子 弟さんがどんな状況であっても、Aさんが、受け入れているよというそのまなざしがあることで、弟さんは真に生きることができるのだと思います。受け入れる心が、人が生きていく力になるのだと思います。 みんなが愛で包まれていて、お互いに愛を受け取っている、それだけを私は見ていくから・・これは信頼の心ですね。怖くなる時は、信頼の心に戻れるよう助けてくださいという祈りが届きますし、Aさんのご家族全員が安心に包まれているという奇跡の経験をされるということを信頼していたいですね。 Aさん 母はとても揺らいで、万が一のことがあったら、親戚にどういう説明をしたらいいかと言います。私は、何の説明をするの?何が恥ずかしいの?という気持ちなのですが、そういう母を見ていると、弟が本当にそういう行動をとったら、母はどうなってしまうんだろうという心配がすごくあります。 でも、弟のことも母のことも、私がコントロールすることはできないというのも見えてきて、そこでまた切ない気持ちになるんです。 永保子 見ていることを本当に受け入れます。そのあとは本当にお任せしますというところで止めるといいですね。 Aさん ゆだねるということを、私はまだやっていないなあと、今思いました。 永保子 自分自身の心が揺れてどうにかなってしまうのが怖いので、先に最悪の事態を想定することで、心を守ろうとしている・・そういう矛盾していることを、私たちはしているなと思いますね。 Aさん それをしないために、どうしたらいいのかということですね。 永保子 信頼してゆだねるというのは、私はあなたを受け入れますということで、受け入れるというのは、本当

西小山レポート⑨  渡邊美智恵

瞑想 Cさん 今も変わらず自分の感情をノートに書くことをしていますが、感情の整理がついているときと、ついていないときがあります。整理がついていないときは、「わからない!イラつく!不安!」など、そういうものでもいいから書いています。キレイごとばかりを書くのではなく、思いついた感情を、ただ書いていると、そこに気持ちが落ちるので、これ以上、幻想を膨らますのではなく、これで終わりにしようと、退いて見るひとつのツールのようなものです。ノートを読み返すことで、過去を引っ張ってきてしまうこともありますが、逆に、「過去にはこんなふうに考えられていたんだな・・」というときもあります。「あぁ、これを忘れていた・・。」と、ノートで思い出します。読み返すことすら怖い時もなんとなくあるのですが、勇気を振り絞って読み返し、「あぁ、そうだった・・」と、どこに立ち戻ればいいのかということも思い出しています。思い出したくない出来事もありますが、それは、ただの現象のひとつであって、そこに、わたしがいろいろな自分の解釈をのせるから怖いのだな・・と思って、完璧さを見る訓練をしています。自分のグツグツとしたもの、醜い姿を曝け出してはいけないという思いがある反面、でも曝け出したいという思いもあります。曝け出したいことを、どこででもシェアできたらもう少しラクになるのかなぁ・・なんて思ったりしています。 Aさん わたしは、けっこう、なんでも喋っちゃうほうです。逆にそれを話したほうが、ギフトがあって、そこで触れあえたことが一番のギフトになる気がします。自分はそういうつもりで話したんじゃないのに、相手が陰で何か言っているのを知っ

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