西小山レポート⑫後半 渡邊美智恵

Aさん 先日、スキーツアーのバスが事故を起こして、若い方が多く亡くなって、バス会社に対しての批判がすごくありましたよね。その中で、被害者のお父様が立派なコメントを公表されていました。バス会社の管理体制も、社会的な問題の部分があって、こういう事故が起きている、というような内容なんですけど、将来のあるご自身の娘さんが亡くなって間もないのに、ご自身のことよりも、社会のことを考えているってすごい立派で、そういうことを皆で知って考えるための事故だったかもしれないし、ただ、それを現実にしないために、「これは現実ではない、それよりも愛を見たい」という訂正もしました。この訂正を一人一人がしていくというのも大切ですよね。 美智恵 そういうとき、ありますね。自分の心の中が、怒りや嘆きで燃え滾っているときは相手の光なんて見ようとも思いませんよね。相手の光を見る前に、怒りや嘆きに埋もれてしまった、自分の光をまず見つめて、それから自分の周囲にも光を見つけていく、そして訂正していく、その通りだと思いますが、Bさんはどうですか? Bさん わかっているのに愛することができていない自分、わかっているのに愛そうとしていない自分・・というのが一番怖いことなのかもしれなくて、だから、わたしは本当に怖がっていて、広い心で主人なり、仕事の売上なりに対して、愛を経験できるように助けてほしいと、日々願うしかないと思うんですけど、最初に出た神様の話ですが、わたしはそこまで本気で信じていないんですよ。だから、願っていないということは自分でわかっているんです。 Aさん 本気で願って委ねるって、本当に難しい。でも、その最中に愛を垣間

西小山レポート⑫前半  渡邊美智恵

美智恵 お正月に初詣をなさったと思いますが、神社や教会で、どのように神さまと向き合ってきましたか? 「神」というと、どんなイメージが湧いてくるでしょうか? 自分とは違う、異次元に存在する者。わたしたちの人生をコントロールしている者。 神話に登場する神々。存在の証明ができず、自分の想像や空想の中でしかいない、信じるに値しない者。神なんて幻想、妄想。 わたしたちは、「神」に、このようなイメージを持っているので、ものすごいセパレーションがあると思うのですが、はるか昔の、わたしたちの祖先は、「人の光を見る人」のことを、「神」と呼んだそうです。 わたしは、そのお話を聞いたときに、すごく、「神」が身近に感じられました。 神社でお参りしているとき、神様は全知全能でなんでもこなせると思っているので、(この思い自体も、自分とは違う、というセパレーションですね)お願い事をしたり、お祈りをしたりしていたと思うのですが、神は、「ただただ、わたしたちの光だけを見てくれているんだ。それだけで、いいんだ。」と思ったら、「本当に、いつも、見ていてくれてありがとうございます。」という気持になれて、もしかしたら、自分もそのお仲間だと言えるかもしれないと、畏れ多くも思ったんです。その瞬間、ものすごく、愛を感じました。 神は、ただ、光を見ている、愛そのものなのだな・・ということが実感できたので、神様が何かをしてくれたり、コントロールをしたりはしないんだということや、そして、どこか遠いところに居て身を隠しているわけでもなく、いつでも、ここに居てくれているのだ・・ということを、わたしは、やっと受け入れてきました。 わたし

タグから検索
カテゴリーから検索
アーカイブ