職場の苦手な後輩

職場で、約1年前に別の部署から異動してきた女性の後輩がいます。 後輩と言っても態度はオラオラ系だし、間違った事は年上だろうが年下だろうが関係なく自分の意見を言い、頭の回転が早くて、皆からの信頼も厚く、仕事ができる彼女は、わたしの最も恐れる存在となりました。 彼女と話すと自分が責められているように感じ、最初は挨拶さえもぎこちなく、彼女を前に固まり、上手く言いたい事を伝えられずにいました。 彼女と自分を比較しては劣等感を感じる日々。 だから恐れを感じる度に、、、恐れを感じない日はないから、ほぼ毎日、ホーリースピリットに祈り、手放せるよう祈っていました。 そんな日々を過ごしていると、少しずつゆるしがやってきました。 ふとした瞬間に、彼女を「かわいいなぁ」と感じる事があったり、自信たっぷりに見えていたのが、実は自分を褒める事を全くしていない彼女がいて、いつも、何をやっても自分はまだまだだ、というような事を言っている事に気がつきました。 そのように感じた時から、わたしの中で彼女の見方が変わっていったのです。 先日、彼女とチームを組んで仕事をする機会がありました。 わたしの最も苦手とする業務内容、しかも彼女と組んでやる、、、。 1年前、全く同じ状況で仕事をした時は、震え上がり、恐くて、失敗しないように、それだけを考えてやっていたのを思い出しました。 今回は、彼女の反応を気にしていないわたしがいました。 上手くやろうとか、迷惑をかけないようにという思いは引き下がり、ただただ今この瞬間をホーリースピリットに使ってもらえますように。 そんな思いと共に仕事をこなしていくと、自分がどう思われているか

幼い娘にテレビを見せる義父、わたしの心の変化

娘が生まれ、物心ついた頃から、旦那の実家に帰省する度に、娘にテレビを見せようとする義父にイライラしていました。 今回のお盆休みも実家に帰ると、義父が娘のために録画していたテレビを見せようとしていました。テレビは時間を決めて見せようと旦那と話し合っていたのに、義父の事については、何も言わない旦那にもイライラ。 わたしの心を見つめると、テレビの見過ぎじゃないかという恐れ、テレビによって娘がどうにかなってしまうのではないか?という恐れがありました。 もうやめて!この状況から逃げたくなった時に、一呼吸。 恐れを感じてみようと、心を落ち着けて義父のスピリットに寄り添ってみました。 すると、不思議なのですが、義父の優しさが心の中に入ってきて、安心に戻れたのです。 その優しさに浸っていると「この状況で娘の何かが変わる事はない、この状況の全てから、娘はあらゆる事を学んでいる。だから安心していい。」というような力強いメッセージのようなものを受け取ったのです。 それからというもの、帰省して娘の好きそうな番組を録画して一緒にテレビを見ている義父と娘を見る度に、微笑ましく心が温かくなります。 義父に対してありがたいなぁという感謝の気持ちが湧いてきました。 そうしていると今度は、わたしが義父の事をもっと知りたいと思うようなり、義父に色々聞いたり話しているうちに、義父の喜ぶ顔が見られるのが嬉しくてなって、一緒にいて喜びが広がっていくようになっていったのです。 たった今、この状況の全てからあらゆる事を受け取っている、、、それはわたしへのホーリースピリットからのメッセージでもあるような気がします。ありがとうご

幼児教育、安心と信頼

「私たちはひとつである。私たちが何もしなくても、すでに調和していて、すでに為されている。」この言葉がとても深いと思いました。 昨日読んだ幼児教育の雑誌の中に、子どものことを愛しましょうと書いてあるところがありました。育児書はあるけれども、参考程度にしておいて、それよりも、目の前の子どもをよく見て、あるがままを受け入れ、愛しましょう、と書いてありました。 その子が持って生まれたもの、命、輝きだけを信頼することができたら、本当に楽だし、すでに為されているのならば、それを信頼するしかやることはないのではないか、とも思いました。 周りのママ友が何か習い事を始めたと聞けば一瞬焦る私がいます。でも、本当にそれが必要なのか、立ち止まってみようと思います。すべて為されているならば、習い事をやめる、という選択肢があってもいいのかな、とも思います。 他の子はちゃんとできている児童館の2歳児クラスで脱走ばかりする息子。それはある意味ラッキーで、私のゆるしの機会をたくさん与えてくれているだけ、という見方で接してみよう、と思います。そして、「この罪悪感はいりません」とゴミ出しをして、ホーリースピリットに持っていってもらおう、と思います。すると、持っていってもらえることが少しずつ分かってきました。 その雑誌には、逆のことを考えればよく分かると書いてありました。子どもに対し、「2歳ならこれくらいできなければ」と、勝手に子どもの成長基準を設けることは、「普通のお母さんはこうするべきでしょ?」「◯◯ちゃんのお母さんはこうしてくれるのに。」と子どもに他のお母さんと比べられることと同じだ、と。「お母さん、このくらい

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