手放された思い


 最近親しくなったお友達の家に、5歳の子どもとお味噌作りに行ってきました。

場所見知りや人見知りがないうちの子が、初めて行く場所と会う人に嬉しすぎて、走り回ったり大きな声を出したり、味噌作りを邪魔してきたり、、、。

わたしは「自由」すぎるわが子を前に、ヒヤヒヤ、とにかく家の物を壊さないように、人に迷惑をかけないように、子どもをコントロールしようとして、大切なことを忘れてました。 

大切な事を忘れた心には、もう全てが罪悪感なのですね。

参加した方々が子どものやる事に笑ってくれたり、味噌の先生が子どもの好奇心に関心して、出会えてよかったと言ってくれたけど、その時のわたしは全く受け取れませんでした。

 

 家に戻り味噌作りを思い出すと、子どもの笑顔から喜びや光のようなものが広がっていく光景が見えました。

縮こまって、人の目を気にして、迷惑をかけないように生きようとする、これまたわたしの心の癖を、見事に見せてくれたなぁと。

もうその必要はない。

形ではなく、心がどうであるか。

心だけが自由だということ。

自由とは形ある全てのものとは全く関係がない、神のうちにある自由を、たった今思い出せました。

気がつく度に手放していきます。




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