やる事リストに追われ気味の時、立ち止まってみました

 日々のやる事リストに追われ気味の時、瞑想を勧めていただきました。

「わたしは、喜んで恐れを「犠牲」にします。」というその日のワークブックレッスンを思いながら瞑想しました。

亡くなった母、父、祖母、祖父が思い浮かび、静かにそこにいました。

あたたかくて懐かしく、揺るがない安定を感じました。

母と微笑み合った時、言葉はないのだけれど母が、「頑張らなくてもいいんだよ。」と言ったように思いました。

普段はあまり泣かない私ですが、その時は涙がでました。

何であんなに涙がでたのだろうかと後で振り返ると、私は母にずっと会いたかった、甘えたかったんだと思い、肩の力が抜けました。

母が亡くなってから30年弱、自分では全く気が付かない、考えもしなかった思いでした。

母は今の私より若い歳に病気で亡くなりました。

病気がわかってから亡くなるまではほんの数か月でした。

母が亡くなった時、一人娘をなくした祖母祖父、20歳の妹、父がいました。

地方の家で長女として育った私は自分が頑張らないといけないという思いでずっといたんだと思いました。

 別の日に「私が見ていると思うものはすべて、想念を反映しています」というレッスンで瞑想をした時、しなければいけないと思っている家事が気になって焦っていて瞑想に集中できないのがわかりました。

ふと母、父、祖母、祖父が思い浮かび、静かに座っていました。

そこに今の私もいて、ふかふかのソファーで無邪気にくつろいでいました。

居心地がよくて焦りはなくなって穏やかでずっとそこにいたいと思いました。

私は母に家族に甘えたかった、これをずっとしたかったんだと思いました。

この気付きは思いがけないものだったのだけれど、何かほっとして腑に落ちる気がしました。

そして母、父、祖母、祖父に瞑想の中で会えると思うと気持ちが安定したように感じ明るくなりました。

 以前は家族の言うちょっとした事に言いたいことがあっても言わないで、私が我慢してすむのならばと思い我慢して、でも心の中はイライラしていました。

この瞑想の後は家族のちょっとした事にイライラしなくなり、言いたいことがあったら冗談のように明るく言えるようになり、家族の会話が増えました。

ありがとうございます。




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