訪問看護の現場から #4

 そのお爺様が私の訪問看護の担当になった日の、自分の心を一言で表現するならば、参ったなぁ、本当に不運な私、という思いそのものだった事を今でもありありと思い出せます。

こちらが、何か一言発すると、90歳前とは思えない勢いで、そのお爺様は屁理屈を、物凄いイヤミたっぷりに返してくるツワモノ。

それまでも、様々なサービスを自己都合で辞められたり、ここ数年子供さんやお孫さんも寄せつけなくなったという事前情報もありました。

それも、全てCall for Loveだという事は学んでいましたが、自己中心的かつ矛盾だらけの言動を目の前にした途端、エゴが思いっきり前面に出てきていやいやいや、今回は無理だ、けちょんけちょんにされて嫌な後味を残して契約を解除されるのがオチだと執拗に訴えてきました。

 実際、屁理屈攻略本というものがあれば、 隅から隅まで読み漁っていたかもしれませんが、この様なお手上げな状態の私の手を優しくとって下さるのは、やはりホーリースピリットしかいませんでした。 

祈りに中で受けとったものは、何も取り繕わなくていいという事。

契約を継続する為に、気に入られようとする必要はないということ。

ありのままのわたし、つまり、神が創造して下さったわたしというものを私はすっかり忘れてしまっているので思い出させてくださいとホーリースピリットに常に祈ること。

それから、毎週1時間半のそのお爺様の訪問看護が始まりました。

 初回の訪問は、正直とても緊張しましたが、お爺様が心を開いてくださるのに時間は全く必要ありませんでした。

屁理屈お爺さん、嫌われ者、人を寄せ付けない、という私の勝手なその方に対する見方を訂正したいとお願いした時に、一瞬にしてホーリースピリットはそれらを取り払って下さったのかもしれません。

というより、そんなものは最初から存在していなかったのですよね。

本当に不思議なのですが、その方と徐々に信頼関係が生まれてきたというより、もうすでにそこには愛があったという感じがしました。

 その後も、もちろん、お得意の屁理屈節を奏でられる事も多々ありましたが、そのほとんどが穏やかで、そして笑いの絶えない時間が過ぎました。

奥様からも、いつも文句ばかり言っているご主人が、訪問時間中は本当にいい顔をしていると喜んで頂きました。

 コロナ禍での訪問中も、本心、外からの訪問者に抵抗がおありになったと思いますが、ご夫婦でいつも私と私の家族の事を気遣って下さいました。

その後、身体機能が緩やかに下降していく中で、その方が改めて、自分の人生の最後まで私にサポートをお願いしたいのだとおっしゃって下さり、本当に有り難く、胸が熱くなる思いがした事を今でも忘れません。

 それからしばらくベッド上でのケアを行う日が過ぎ、いよいよというタイミングで、私が勤める事業所が24時間の看護体制を取っていなかった為、他の訪問事業所への変更手続きを取っている間に、その方は愛する奥様に看取られ旅立たれました。

本当に眠る様に安らかに息を引き取られたとお聞きして、寂しさ以上に改めてその方のスピリットを思い、手を合わせました。

父が亡くなった時にも感じたことですが、身体が存在していた時以上に、その方の温かさを本当に今も近くに感じています。 

 手ごわいと見える相手(問題)ほど、ゆるしが見せてくれるギフトは素晴らしいと「奇跡のコース」のクラスでも学んでいますが、この方を通しての経験も本当に最悪が最愛に転じた大きな大きなプレゼントになったことに、こころから感謝します。







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