目黒クラスレポート 渡邊美智恵

2/1/2013

目黒・東京の第1回目 じゃない会 には、女性3名 男性2名 が参加してくださいました。

皆さんが揃って、すぐに穏やかで、和やかなエネルギーが部屋一杯に広がるのを感じ、この、第1回目の「じゃない会」を祝福してくれている、ホーリースピリットの存在を、感じざるを得ませんでした。

 

小学校低学年のお子さんがいて、ACIMは初心者とおっしゃるAさん。

 

一番下のお子さんが小学生になり、やっと時間に余裕ができたBさん。 

 

子育ては終わり、お孫さんとのコミュニケーションを楽しみ、子ども達に英語を教えながら、平和な心へのアプローチをしていきたいとお考えのCさん。

 

治療院で、多くの患者さんの体の症状を治療しながら、心の問題にも耳を傾けていらっしゃる、中学生のお子さんがいるDさん。

 

そして独身ですが、子どもの頃反発していた母との関係性を見直す機会として参加してくださったEさん。

 

以上5名の方と、私たち2人のファシリテーターの計7名でのシェア会がスタートしました。 

 

それぞれの自己紹介の前に瞑想から始めました。
 

 

グラウンディングラインを心の目で確認してから、さまざまな湧き上がってくる思いを、区別することなく、落としていきました。光の粒子が体中に広がり、隅々まで満たされているのを感じ,、そのまま部屋全体にまで広がって、お互いをふんわりと包み込みこむのを感じると、私たちは守られ、助けられ、愛されていることを思い出しました。

 

この感覚の心地よさを存分に味わい、胸の真ん中にしっかりとしまい、瞑想を終わりました。

 

瞑想は初めて・・と、おっしゃるAさんも、誘導されて、入りやすかったと感想を述べてくださいました。

 

自己紹介のときにシェアしてくださった、Aさんの、小学校低学年のお子さんの心配、ACIMのレッスンや瞑想のやりかたがわからない、というご質問、そして、一番下のお子さんが、入学したばかりの学校で孤立している、というBさんのお話から、いじめ、そしてコミュニケーションをとることの大事さなどが今回の主題となっていきました。

 

Aさんのお話

私の子どもは、「全体的な理解がゆっくり」で、通常学級に通いながら、週に2回、支援学級にも通っています。行動がゆっくりで個性的がゆえに、学校になかなか慣れないでいます。普通に発達している通常学級の子達との差を、子ども自身が、非常に敏感に感じている様子もあり、そこのところをどう、親がうまく教えていくのか、ちょっと難しい。先生はよくフォローしてくださっているのだけど、本人が、できないことがたくさんあって、お友達に、「力がない」とか「できない」とかいろいろ言われることが悲しい、悔しいと思っている。本人が思ってもいない、自覚のないところで、お友達から、いきなり注意されたり怒られたりする事もあり、そのことが、恐いと思っているようなところがあるんじゃないかと思う。

周りの子は、「この子はお世話が必要な子」と思っているので、親切心のこともあるのだけど、本人がそうはとらなくて、意地悪された、意地悪言われた、と思ってしまうところがある。みんなとワイワイ仲良くしたいのにズレを感じる。そんな感じなので、毎朝「お腹が痛い、お家にいたい」熱が出たら休めると思っているので、「熱、出ないかな・・」などと、言う。行ってしまえば、楽しかった、と帰ってきたりするので、そんなに心配はないのかな、と思ってはいるけれど、ため息をつきながらでかけていく子どもを見ると気になる・・・。学校ってなんだろう、育つってなんだろう、と問われている気がします。というお話でした。

 

晴美

子どもって、よく、学校に行きたくないとか、お腹痛いとか言いますよね。熱、出ないかな・・なんて、可愛い口実で・・・(笑)やっぱり、お母さんが安心していて、そのお母さんに、受け止めてもらいたい、まるごと、「うん、うん」って受け容れるだけで、安心して学校に行けるんでしょうね。

 

美智恵

周りの子は親切心で教えてくれているのに、本人がそう受け取れないということは、お子さん自身が、「できない自分」を責めている・・ということになって、それはやっぱり、本人も、それを見ている親も辛いですよね。

親がうまく、何を教えられるか・・と言ったら、「できない自分・足りない自分」というものは居ないということ、「皆と同じでなければいけない」そういう思い込みを一緒に手放していくという訂正だと思うんです。

私たち母親ができることは、さっき瞑想したときに作った、よきことを迎えいれるためのスペースを常にオープンにしておいて、子ども達の完璧な部分を見ていく、「大丈夫だよ」って言葉をかけながら受け容れていくことだと思います。学校へ見送るとき、心配な気持ちはどうしても付きまとうかもしれないし、沸き起こったとしても、すぐに、自分の平和な部分に戻る、そのレッスンをご自分がしっかりとされていれば、いろいろな形で奇跡や癒しが起こるのではないかと思いますよね。

 

Eさん

学校は立派なビジネスマンを作るためのような場所で、特に都会の学校はスピードも速い。例えば南の方なんかに行ったら、お子さんと同じペースで動いていて、遅れなど気にならないかもしれない。地域の中でも、お子さんの生きやすい場所、というのがあるはずなので、それをサポートしてあげたらいいんじゃないかと思ったりします。

 

Aさん

週2回の支援学級は、すごく安心していける場所です。お友達おからいきなり注意されることもないし、先生達はよく見てくださるし、子どもに無理を要求しないので、安心して行けるところです。初めて瞑想したのでよくわからないのですが、すごく恐くなっちゃって、それはやり方が正しいのかどうなのかとかも聞きたい。皆さんは、頻繁に瞑想とかされますか?例えば、朝、送り出して心配なとき、「平和な心、平和な心」とマントラみたいにしてとか。心配なときは、ワークブックを開いて、平和な心にいくようにはしているんですけど・・。

 

美智恵

ワークをして、正気な部分に戻る時間をたくさん持っていくというのが、わたしたちの時間の使い方だから、常に訂正して戻っていくというのは、瞑想しなくてもできることですよね。瞑想は、わざわざ時間をとらなくても、できるんですよ。入浴や洗濯物をたたんでいるときなど、無心になっている状態が瞑想状態に近いですね。そのようなときに、ふっと自分の思いに気付くことや、啓示のようなものだったり、あれは、こういうことだったんだ・・という気づきがあったりするので、そういう、ふっと、沸き起こるものに、注意深くいるように私はしています。

瞑想は、ゆっくりと心を鎮めて、焦らないための訓練だったり、揺らがない心を保つための訓練だと思ったほうがいいかもしれません。「平和な心に戻るために瞑想しよう」と時間をとっても、落ち着かず、雑念ばかり浮かんできたり、見ているものを無かったことにしようと封じ込めてしまったりするよりは、焦らない心を持って、ワークブックを開き、今、私はどこに心を向けているのか・・ということをきちんと見ていく。それでいいのではないかと思います。瞑想をしているときに、恐いという感覚が出てきたときは、グラウンディングするといいと思います。ACIMの最初のレッスンのほうに、いいことも悪いこともすべて区別なく取り上げて「この思いにはなんの意味もない」っていうレッスンが、ちょうどグラウンディングに似ていると思います。

 

晴美

エゴにどっぷりと行っているときというのは、平和とか時間はあるある・・と言っていても、そのように思えないこともありますね。そんなこと言ったって、やることが多すぎて時間ない、っていうふうにすごく思っているわけだから、「その思い込みを手放すことを助けてください。」というふうに、マントラにしていきなさい、と、香咲先生に教えていただきました。時間がないと思えば思うほど、余計なことばかりをして、ますます時間がなくなるけど、やっぱり、平和なところに戻りたいし、大丈夫だよ、と思うと、スムーズに事が流れたりするんですよね。だから、そっちに行きたいって思い出すだけでいい。そこを、私たちは自分で頑張る必要はない。エゴと戦う必要はないんですよね。受け取ったときに、「イヤイヤ・・・」と自分でジャッジして・・というのは余計なことなんですよね。不安な気持ちから平和な心に向き合おうとしていらっしゃる。ワークブックにとりかかる、ということが瞑想だとも思うんですよ。
 

Cさん  

ウォーキングとか無心になっているとき、動的瞑想っていうんだろうな。私の場合、「よくがんばっているね」とか、自分を褒めている時間だったりします。

 

Aさん  「赦し」というのは、どう捉えたらいいのかわからない.

 

美智恵

罪や誰かを許す、というのではなく、外側に投影したエゴを手放す、ということでもあるし、全ての出来事は自分の幻想だったということを認識して、ホーリースピリットに委ねて、手放すということです。

 

Cさん

焦ったりする自分とか心が平安でなくなるときに、これでいいのかなって思ったときに、ホーリースピリットに、赦しっていうのを教えてくださいとか。誰かを赦すっていうことではなく、与えるってことでもあるかもしれないですよね。

 

晴美

普段使う赦しとは違いますよね。今までの自分の価値判断や、葛藤だったりとかの、ものの見方を全て手放したいですっていう、姿勢そのものが、コースの赦しだと思いますね。自分で赦しをしようっていうのではなくて、手放したいという姿勢でホーリースピリットに委ねるということですね。

 

Aさん  

常にホーリースピリットに手放したいです。ということをしいけばいいのですね。

 

晴美

平和な気持ち、安心していたい、そっちにいきたいという意思。訂正していけばいいですね。

 

Bさんのお話

一クラスあたりの人数が少ない小学校で、ほとんどの子が、公立幼稚園からの入学で、親も子も、仲良グループができあがっている。我が子は私立幼稚園からの入学で孤立している。遊びに誘っても断られて泣いて帰ってくることもあり、私が焦って、アプローチしたりしていたが疲れてしまった。

 

「もういいんじゃない?遊べる人と遊べばいいし、お家にいればお母さんも居るし・・」と言って、置いておいてる状況。仲間はずれをしたり、靴を取り上げて返さない、コートを引っ張ったり、蹴ったりするという事件もあった。

 

相手の母親に連絡をして話をしたが、そういう子どもたちの親は、無関心なところがあるような気がしてもどかく感じる。まだ一年生なのだから、今日学校で何があったのか聞こうよ!ってすごく思う。でも、それは私のエゴ?何?と思う。

 

結局我慢できなくなって、学級委員という立場を利用して学校に行って、学校で起きた出来事を、された子の家庭にだけでも、連絡帳に書いて欲しいとか、仲間はずれのターゲットになりたくないからボスの言うことを聞いている子達に、「選んでいいんだよ」という話をする機会を持つとか、学校に状況をもっと、フィードバックしてほしいとか、延々とお願いした。

 

担任の先生が以前、学級崩壊をさせていて父兄から結構叩かれている先生だった。だから言葉も選び、できれば役員さんで進めてください、など控えめな感じ。なので、先生をサポートしますから、ちゃんと全部お話を聞かせてくださいとお伝えしている。先生も可哀想なんです。でも、子供同士のこの状況を、普通だと思っている親御さんもいるわけで、中には、「お互い様じゃない」っていうような穏やかなママたちもいて、このギャップ感や温度差が嫌だな、というか、変だな・・と思ってしまうし、私が変で、彼女達のようになんで普通に過ごせないんだろうって思う自分もいたり、言葉には出さないけど、「変わってほしい」と斜めに見てしまう私が居る。どっちが無関心なんだろうていうのが最近の私の悩みというか、大きなトピックです。というお話でした。

 

晴美

Bさんがやっているのは、Bさんが、学校の中心になって、コミュニケーションをとって、本当の自分を思い出したりしていることなので、利用しているだなんて、そこに罪悪感を持たずに、どんどん先生とコミュニケーションをとって、それでいいんだと思うんです。自分の心を見るという機会をいっぱいもらうわけだから。今と昔は違って、保護者が敏感だったりもして、先生も、もしかしたら、子ども達に教育することを恐がっているかもしれないですね。。私たちは、護ろうとしたり、アタックしたりする。先生自身が、保護者に言われる、ということに不安があるんだなということを、私も感じたことがあります。だからBさんのように、コミュニケーションをとりましょう、私はこう思っています。ということを伝えていると、先生も恐くなくなると思うんです。

 

美智恵

昔は、竹刀を持った先生に追い掛け回されたり、怒鳴られたりしながらも、愛を受け取りあって、先生と生徒、保護者の信頼関係がもっとあったと思う。今、そのようなことをすると、保護者の反応や教育委員会の指導などもあって、先生は、言葉遣いひとつとっても、非常に気を使いながら生徒の指導にあたっていらっしゃる。「僕達に武器はありません。なので、保護者の方の協力は非常にありがたいし必要としています。」と聞いたとき、「あぁ、先生方はこんな思いをしながら、精一杯やってくださってるんだな」と思った。私も委員という立場を利用して、クラスの保護者のお話を、ひとりずつ聞いて、それを先生にお伝えして・・ということをコミュニケーションとしてやっていくうちに、先生方がそれに応えてくださった。不安や疑問を抱いている保護者や子どものために、学校全体の問題として、校長先生自らが、今の学校の状況を、全学年の保護者を対象に、包み隠さずオープンにしてくださった。

 

次に、保護者の方々に学校へ足を運んでいただけるようお願いしてみた。もっと、自分の子どもが何をしているか、周りに迷惑をかけずに授業をうけているか、正当な疑い?みたいなものも、持ってもいいんじゃないかと思って。みんなが安心して通える学校にするために、監視や叱りにくるのではなく、コミュニケーションをしにきてほしいとおいう願いを添えて。

 

私たちは外側で起こる出来事に反応して、不安になったり、誰かにレッテルを貼ったり、変えたい、と思ったりするけれど、見るところはそこじゃなく、まず、そのように反応してしまう自分の恐れを、見てみる。実は存在していない、その恐れを手放す。そして、その先の光の部分を見て、信じて、コミュニケーションをすることで、ゆるしていくんだと思う。わたしたちは、ジャッジをしながら動いてしまうので、Bさんのように、これもエゴかな?と思うこともたくさんあるけれど、Bさんのように、正気に戻れる人がひとり居るだけで、全体が変わっていくかもしれないですよね。

 

Bさん

子ども達に「お帰り~」と声をかけても返事をしない子もいる。そのような子には、「お帰り~」と何度でもコミュニケーションとして声をかけています。「おまえの母ちゃん、こぇ~」とか言われながら(笑)

 

Cさんさんの「お帰り」という一言でも「言ってくれた」というコミュニケーションでもあるわけだし、学校は戦いの場ではないので戦うとか武器とかいうんじゃなくて、おちゃらかすくらいでいいのかもしれないですね。自分を正当化したいがために、周りを悪くしておかないといけない、こいつをいじめておけば、自分は安心だというのは、大人の中にもありますもんね。そういう、根っこあたりを溶かしてあげないといけないんじゃないかな、と思ったりするんですけど。心を開けないと、コミュニケーションというのは取れなくて、外からの自分、外からの先生、外からの子ども達っていうのしか見ていないから、やっぱり、自分自身の中から自分を見る、自分の態度を見て、自分の行動を決めていく、ということじゃないかな・・なんて思ったりもするんですけどね。

 

Eさん

関わっていくことはすごく大事で、それがあるかぎり大丈夫だな・・って思います。いじめは良くないんだということを教えるのも先生の仕事なので、仕事を先生にちゃんとさせてあげる。そのためにお母さんたちが協力していくのはすごく大事なことだと思う。仕事でいろんな学校を回って見ていてわかるのが、先生によって、学校の雰囲気がまったく違うということ。先生が変えていけば、子どもっていうのは必ず変わっていくと理解しているし、例えば今、明日変わらなくても、10年後にはわかることもあると思うので、ぶれないで、子どもをちゃんと見て関わっていく、それがないと、ホントに荒れてしまう、ひどくなっていく学校というものを実際見ているので、先生がある意味暴力的におさえつけないと、規律が保てないような学校もあったし、ガンガン言わないと収まらない学校もある。

 

今、変わっていくいい機会でもあるのかな・・というのを感じます。同じスピードで、皆同じ思いにはならないと思うんですけど、ちょっと別の話になるけど、反原発のことで一生懸命されている人は、同じようなことを言う。なんで、みんな一緒にやらないんだ、なんで気付かないんだ、言われるんですけど、その意見は大切なことではあるんですけど、全員がそこに同じ思いがあるかと言ったらそれは違うかな?という気はしました。その人たちにとってみれば、自分の子どもは、いじめられないようにしていると思うし、人をいじめるような子にはなってほしくない。そういうところにフォーカスしていくといいのかなって気がするんですよね。 

 

晴美

小・中学校のときに、いじめや、からかいを受けていた子に、偶然、30年ぶりくらいに再会したんです。私は進路も違い、彼女のいじめにも加担していなかったから、彼女に対して、何も問題は持っていなかったが、彼女のほうが、距離を置くような仕草をみせた。何十年も経っているのに、彼女の中には、今でも、そんなことがあったんだ・・と思ったけど、彼女が当時のことを話してくれて、それを開放してくれた。私は同じように溶けていく感じがあって、ありがとう、という気持ちでいっぱいになった。私の解放でもあるし、お互いに受け取り、コミュニケーションをとれたのがすごく嬉しくて、そこから、わたしたちの友情が始まった。彼女は病を患っていて、一昨年の夏に亡くなってしまったけど、彼女は病気になったことで、両親に甘える、コミュニケーションをとることを学んだんです。ACIMを共に学ぶようになり、仲間が増え、コミュニケーションや受け取ることを学んで旅立っていったんです。わたしたちは、未来に対して不安を抱くことは全くないのだけれど、Bさんのしていることは大事なコミュニケーションだと思うのね。

 

だから正直になるレッスン、オープンにシェアしていくのは素晴らしい経験なんだと思う。学校という場を使って是非やっていってください。

 

Aさん

自分のことで頭がいっぱいで、私の周りには、学校へ行ったりするひとがいなくて、わたし一人が学校に行ってるみたいな感じだったんですけど、今日、他の方も学校へ行ったりしているのを聞いて、そんなことないな・・と、いい勉強になりました。自分ひとりだけ、私ばっかりこんなことしていて、なんなんだろう・・と思ったりしていたので、そうじゃないてのがわかって、嬉しいです。

 

Cさん

これはジャッジかエゴか・・と思うこともあるけど、やっぱりこうしていきたい、とかいう思いに素直に、受け取れるという気持ちを持つのが大事かなぁなんて思います。

 

晴美

親同士のコミュニケーションもすごく大事だから、助けて・・って正直に言っていけばいい。いろんなことに恐がってたり、避けたりしてると、どんどん恐さが増していったりするけど、会えば、自分が勝手に抱いた幻想に気付いて、全然大丈夫なことや、わたしたちは、いろんなことに恐がってるんだろうな・・ってことに気付いたりして、恐がらなくていいんだよ、私たち、守られているんだよっていう、一つ一つの確認だったりとかをゆっくりやっていけばいいんですよ。

 

 

 

最後に皆さんから、感想をうかがいました。自分の言いたいことを確認しにきたような気がします。いろんなお話を伺えてすごく楽しかったし、いい勉強になりました。

相手を変えようと思っても変わらないので、常に自分が湖のごとくを子どもに見せていけば、自ずといい方向にいくんではないかと思った。

 

このような感想をいただいて、第1回目の「じゃない会」が終わりました。どんなことでも共有して心の訂正を、ひとつひとつしていく・・  そんな赦しの機会をこれからも続けていけることに感謝しています。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

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