わたしもたくさん学び癒されました、ありがとう。香咲弥須子

4/11/2013

みなさんおひとりおひとりの真摯な声が心の奥まで届いてくるレポートをありがとうございました。ニューヨークの会は、国際的だから、という意味ではなく、何かこう、とりわけダイナミックで、日常にざくざくと切り込んでいくような鮮やかさがあるようですね。みなさん、自覚していらっしゃらないかもしれませんが、やはり、ニューヨーカー!なのですね。笑

 

心に浮かんだことを少しシェアさせてください。

 

<進行中のドラマはいつでもストップできる><なりたい状況は今すぐ作れる>

 

ーお義母さんとのことーのすばらしいシェアから。

 

たとえば、自分自身の両親と義母、という関係のなかでは、どうしても、自分の両親が特別に大事な存在として感じられてしまうし、義母または義理の両親と夫、という関係のなかでは、どうしても、夫に、「なんとかして」と責任を押し付けることになりがちですよね。

 

そうやって、個々の関係に、個々の位置づけがあると、関係は否が応でも複雑になっていき、その複雑さが重いドラマを紡ぐことになります。

 

「今の時期に家が綺麗なほうがおかしいのよ」とおっしゃったお姑さんの言葉には、「あなたは嫁」「大事な息子を託している人」「わたしの孫をしっかり育ててもらわなければならない」等々の”関係の位置づけ”に伴う期待や要求、文句、といったものがまったくありませんね。そういうものを超えた、あえて言うなら友情のようなものが、このあたたかな、すがすがしい一言に感じられますね。

 

あらゆる関係を、特別なものにしないで、等しい友情関係(『奇跡のコース』ではサンシップと言いますが)として見られたら、つまり、相手を、強く賢く寛容な存在として見て、敬意と感謝のみを持って接することができたら、ドラマは終わります。

 

たとえば、お姑さんとの関係をそのようなものにしたい、ドラマを続けたくない、と、一旦心に決めたなら、今すぐそうすることができます。

 

そして、ご両親に「まあそんなことがあったの。そのときはちょっとごたごたがあったのよ。でも”もういい関係だから大丈夫”。お義母さんからの贈り物は、お詫びの気持ちに違いないわ」と伝えることができるし「心配かけてごめんなさい。今後もし驚くようなことがあったら、すぐに言ってくれていいのよ。気をつかってもらうようなことは起こっていないから」とも言えるかもしれません。

 

ご主人には、「そんなことをしていたのか! ひとこと言ってやる」ではなく、「僕たちいろいろ至らないことがあるだろうね。でもお母さんは大事なんだ。I love you.」ということのほうを、伝えていただきたいですね。嫁である自分が、心からそう思うことによって。

 

誰かを<問題児>にすることによって解決することはひとつもありませんから。

 

 

<愛と、特別な愛>

 

ー子どもの受験・夫とのこと・ママ友ーのすばらしいシェアから。

 

 愛をふんだんに注ぐ、ということは、お子さんに対してだけでなく、あらゆる人に対して、いつも、していたいことですね。

 

でも、母としての愛、妻としての愛、嫁としての愛、子としての愛・・・と、個々の愛に、個々の位置づけがあると、愛自体が否が応でも複雑になっていき、その複雑さが重いドラマを紡ぐことになります。

 

そのような特別な愛は、相手にとって重荷になったり、誤解となったり、愛のつもりがエゴの押しつけになったり、応えてもらえなくてがっかりする結果になったり、愛を注ぐほど事態がひどくなっていったり、というようなドラマを作ります。

 

そういう特別な愛ではなく、永久不変の、ほんとうに光と強さと癒しの力を持った愛を心に持つためには、まず、心にあふれている特別な愛のほうを脇に追いやる必要があるでしょう。

 

「わたしは母親!!」ではなく、「子育ての季節を生きている、この、わたしという人間。精一杯、自分を生かし、人の力になり、たっぷりの幸せを経験していきたいと切望しながら、この地球に存在するわたし」という、あらゆる役割を取り払った自分を、どの瞬間にも忘れない、という姿勢が、大事だと思います。

 

それが、簡単じゃないんですよね。わたしたちは、何かをしているとき、「~としての自分」にどっぷり漬かってしまって、自分で作ったその役割から近視眼で周囲に向けて要求し、その役割を果たすために周囲をコントロールしようとしてしまいます。

 

もちろん、母という役割は、いっときも放棄できませんが、それは、自分という菩薩(少し前のクラスで出た言葉を使えば)から伸びる一本の腕に過ぎません。妻という腕、仕事人の腕、何本もの腕があっても、その本体は、役付けのない、まっさらな自分です。そしてそのまっさらな自分は、愛そのものなのです。

 

愛が腕に流れ込んで、それで腕が力に満ち、光輝き、その腕から、光が、相手に伝わっていくのです。

 

腕は、それ自体で勝手には動けません。動いても、エネルギーはすぐ枯渇します。

 

本体の自分を思い出して、大活躍中の腕を、愛おしく眺めてあげましょう。

 

そして、ときどき、休ませてあげましょう。ときどき、というのは、できれば毎日一回は。あるいは一時間に一回は。

 

そんな、“超越したお母さん”には、お子さんも、ご主人も、ご両親も義理のご両親も、誰もが、ただひたすら信頼と感謝を、限りない愛だけをもって接するでしょう。

 

自分の本体を思い出すだけで、それが実現するのですから、みなさん、ぜひ、清々しい、疑いのない、愛が伸び伸びと広がる春を味わってください。

 

永保子さん、志保さん、ありがとうございました。お二人がレポートのなかでおっしゃっていることとダブっていますが、共感と感謝の思いで、書かせていただきました。
 

 

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