頑張る子育てから、奇跡の子育てへ 香咲弥須子

わたしが大学生の頃(30年ほど前になります)に、女性雑誌に、パリ在住の日本人女性がシングルマザーになったけれど、クリエイティブな自分の仕事に没頭するあまり、おむつ替えも忘れるほどのボケ・ママぶり、それでご近所さんたちが見兼ねて子育てに参加し始め、同時に、ママのキャリアもみんなでサポート、お子さんは実に大勢の大人に大事にされて育ち、近所一帯が自分の庭、どのおうちも自分ち、となってきている、、、という話が紹介されていて、さすがパリ!と感じ入ったことを覚えています。

 今わたしは、パリに勝るとも劣らずさまざまな人が入り交じるニューヨークにいて、多種多様な流儀、考え方、やり方で子育てをするママたちに接しています。そのなかで、日本人ママたちは、創意工夫を凝らして、ほんとうにていねいで、きめ細かな、そして思慮深い、子育てをなさっていると感心します。

 そこで、「でも、まだまだなんです。より良くなるには?」と、思いを苦しい方向に持っていかないようにしましょう。

 大事なのは、毅然とした自分自身を取り戻す、ということだけです。「たった今、与えられている状況」(あらゆる状況は、与えられています)が、お子さんとのお風呂であっても、デパートのおもちゃ売り場であっても、それは「自分とこの子にとって、ほんとうにかけがえのない人生のひととき。最高に輝き、限りなく愛を注ぎ、ここから得られる幸せを全部受け止める!」と心に決めることができます。

 それがむずかしいと感じるのは、時間や予定の問題ではなく、「とにかく手がかかるから」でもなく、「毅然とした心が曇って、人との距離を作っているから」なのですね。

 「お願いできない」「頼むのはかえって面倒くさい」「邪魔したくない」等々の思いを、ご主人にでもお母様にでもお姑さんにでもご近所さんにでも、誰にでも、ひとりに持つと、他のあらゆる関係が、同様に、すっと離れて距離のあるものになります。当然、お子さんも離れます。

 人との距離を作るのは、自分のなかの「毅然としていない思い」=「自分はまだまだだめだという罪悪感」=「だめだと判断されることへの恐れ」=「拒否されることへの恐れ」です。そして、人との距離ができると、それらの思いはさらに強まり、もっと厳しく自分を裁くようになります。

 その悪循環を断ち切る練習には、たとえばこんなものが挙げられるでしょうか。

1。罪悪感を持たずに、堂々と人に頼む練習をする(罪悪感がないと、不思議なことに、たとえ断られても傷つかないものです)(さらには、断られて困ってしまう状況が、なぜか回避されます。奇跡です)。

2。今やっていること以外のことを考えない練習をする(これが終わったらあれをして、そして次は・・・という思考を脇に置く)(そうすると、なぜかそのことが時間通りに終わって、スムースにすべてが動きます。奇跡です)。

3。「毅然とした、誇り高く、愛にあふれたママ」の姿を子どもに見せる練習をする(担いででも引っ張ってでも実行すべきことは堂々と実行する。愛とは、丸くおさめることとは違う、と心得る。間違っても、鞭と飴でコントロールしようとしたり、相手に媚びたりしない。子どもとの間に距離を置かず、体当たりの付き合いをする)(すると、体当たりが疲れるものではなく、逆にバイタリティが湧くのを感じます。些細に思えることであっても、なぜか自信がみなぎるのを感じます。奇跡です)。

4。ママ友と社交しない、代わりに「ほんとうに心でコミュニケートする」練習をする(誰にとっても、願いも喜びも同じ、つまり悩みも同じということを忘れず、率先して心を開き、相手の心を思いやることを忘れない関係を築く)(すると、ママ友との悩み、というものが、なくなるだけでなく、自分が、お友達のみなさんにたくさん手を差し延べてあげられる人になります。自分のことだけで精一杯、だった頃が不思議なくらいに。奇跡です)。

 ほかにも多々、出てくるかもしれません。

 パリやニューヨークじゃなくても、ほんとうにオープンにしていた(そのように支え合わなければやっていけなかった)社会が、日本にもありました。今もあるでしょう。豊かであるということは、それをやめることではないのは明らかです。たとえば貧困のなかで生き抜くために助け合いが必要だったのなら、助け合いこそ、貧しさを豊かさに変える錬金術なのです。そして、助け合いは、言動で為されるものではなく、「罪悪感を持たないと決めた心で」行なわれるものなのです。

 奇跡の練習をさせてくれるお子さんたちは、ほんとうに、ママたちをやさしく育ててくれる天使たちですね。

 ありがとうございました。

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