目黒レポート  小泉晴美  渡邊美智恵

いつものように、瞑想から始めて、心にある静かな湖面を思い出し、私たちは愛そのもの、安心して、違いを見ず、お互いに奇跡をさしだし、受け取り、分かち合うことができるのを確認しました。 1回目から毎回、目黒の「じゃない会」で、たくさんの奇跡を分かち合ってくださるAさんと、第3回にご参加くださったBさんから、近況をシェアしていただきました。 ・・Aさんのシェアから・・ 前回の目黒レポートに、香咲先生が書いて下さったコメントを読んで、役割を持ち込まない、置いて来る、ということを、「本当にそうだな」と思い、意識しています。ペットも目の前の人も、自分の救い主だと思い出す、というのをテーマにして、目の前の人が、どんな事を言おうと、目の前のペットがどんなにオシッコをこぼそうとも、とにかく救い主と思って意識して生活してきたので、以前だったら、すぐにカチンと反応して、嫌だったら嫌だと言い返していたのを、一歩ひいて、これはどういうことだろう・・、とか、主人と娘が喧嘩することが多いのだけど、以前は、すぐに止めに入ってお互いの間を取り持とうとしたりとかしていたんですけど、これはどういうことなのか、と内側を探るということをしています。主人と娘が喧嘩していても、いちいち気にならなくなり、それぞれに原因があって、そうだね、と終わらせる・・というような日を送っています。 @ レポートのコメントを通して実践していらっしゃったAさんは、いつも「じゃない会」ブログを読んで、皆さんや香咲先生がシェアしてくださったことを、すぐに実践し、その奇跡をシェアしてくださいます。そして、コースで教わる最も大事なこと、「実践をする」ということを毎回、思い出させてくれる方です。今回も、お子さんの事を光で包むグラウンディングを実践したことによる、ご自分の心の向きと、お子さんの持っていた強さに気づいた、というシェアは、後にお話し下さるBさんにとっても、希望となりました。 ご主人とお子さんの喧嘩を、「これはどういうことなのか・・」と内側の探求をされているとのことですが、ご主人とお子さんの喧嘩を、自分はどう見ているか、どう思っているか、と、自分の心をまず見ることが大事だと私たちは教わっています。その心は、いろんなことを思って、見ているはずです。 例えば、攻撃や分離を見てしまった、だから、平和でひとつの穏やかな心を願う、という、Aさんの持っている愛を、ご主人とお子さんが引き出してくれているのかもしれません。 なぜ、私は、攻撃や分離を見て慌てているのだろう。なぜ、平和を見ることだけをできないのだろう。自分の中に、平和でない心があるから、こういうものを見ているのかともおっしゃっていましたが、喧嘩を見て、反応してしまう自分の心があるだけ。喧嘩を見て怖がったり、怒ったり、イライラしたりしている自分の心と、平和だけを見ることを、私たちは、なぜかできないし、難しいと思っている心。なぜかできないし、難しい、だからこそ、ホーリースピリットの助けを借りて、一緒に見てもらうことをしていきたいです。 ・・Bさんのシェア・・ 前々回参加した時は、学校に行きたくない三男に対して、「行きなさい」と躍起になっていた主人が折れてきてくれました。というのも、息子が、冒険心もあり、「私に家出をしていい?」と聞きながら家出を計った。私は頭から「やめなよ」と言うのはやめて、「どこ行くの?行く場所だけ教えて」と聞いたけど、教えたら家出じゃなくなると思ったのか話してくれなくて、ある日「今日やる」と言って、友達を誘って決行して、結局最後は、お友達のお母さんも心配なさって、警察の厄介になって確保されて翌日帰ってきたんですけど、そんな事があってから主人も「無理して行かなくてもいいんじゃないか」というような気持ちになったみたいで、次に行く学校の目星をつけて、転校や引っ越しも視野に入れて、穏やかになっています。 自分の中の課題というのを、特に決めずに生活していたんですけど、以前、ここに来て、ヒーリングを受けたときに、「古きものを捨てよ」と伝えてくださったのがずっと頭にあって。ずっと、いろんな問題に悩んでいて部屋は散らかったままだったので、そういえば要らないものがいっぱいあるな、と思って、今、家の中の片づけをしています。 それと同時に、家族の関係も整って来てるのかなぁ・・と思っています。 @ お部屋の片づけをしていると、どれだけ自分に執着する心があるか、どれだけ必要のない物に飛びついてかき集めていたのか、そんなことがわかります。 それと同じように、心の中に山積みになっている古きものに、まだまだしがみ付いている自分があって、何に私はしがみ付いているのか、何を手放さなければいけないのか、そしてクリーンになった心に、私は何を招き入れようか・・そんなふうに、新しい風を通しながら、生き生きと家事をしたり、部屋の片づけをしてくれるお母さんの姿を見て、子どもや家族も、有難いことに祝福してくれるし、家族がまとまっていったりもしますよね。 Bさんのお話を伺っていると、息子さんたちは、とてもお母さんが大事で、大好きなんだ・・ということが、すごく伝わってきます。 一緒に家出をしたお子さんのことと、家出についてのお話をもう少し伺ってみました。 ・Bさん・ 友達と寝袋持って、公園などで寝ようとしていたんですけど、相手のお母さんが居場所の見当がついていて、それを察した子供たちが場所を公園から緑道に変えていたので、私たちが公園をくまなく探してもどこにもいないので、明け方に警察に行って、確保された。うちの子は、その頃、自暴自棄になっていて、「死にたい」と言っていたので、要注意ではあったのだけど、家出の経験をして、吹っ切れたところもあったように思う。警察に迎えに行ったとき、ボロボロ泣いて「帰りたくない」と言っていたけど、家までの帰り道をぶらぶらと歩いて、レストランに寄って、食事を摂ったら落ち着いた。家に帰ると、皆から反発されるので、帰りたくないようだったけど、私もそのとき、周りに押されて「学校に行けば?」とぽろっと言ってしまった。私が逃げ場だったのに、皆に流されてはいけないと思って、ここからは息子を守ってあげなきゃ、と固く思い直して・・。 そしたら周りも変わってきて、いい方向に向いているかなと思います。先日、シュタイナー学校の説明会に行ってきました。 一緒に家出をした子は、転校したばかりで不安定な状態にあったのかな・・とは思いますけど、真面目に学校へ通っています。うちの子にそそのかされてというか、二人で、家出しよう、と盛り上がっちゃって、うちの子は、家出したまま帰らないつもりでいたんですけど、相手の子は「帰ろうよ、帰ろうよ」と言っていたので、うちの子に付き合ってくれた、という感じです。 ・Aさん・ 私も家出未遂をしたことがあります。親が勉強の事しか言わないのですごく嫌で・・。周りが厳しいと、余計に反発しちゃう、そういう年頃でもあるのかな。あと、その付き合ってくれたお友達がすごく有難いですね。 ・Bさん・ 三男が家出している最中、私は全然心配じゃなくて、キャンプに出掛けて行ったくらいの感覚でテレビを観ていたりして・・。主人が帰って来て、「なんで、そんなに平気でテレビなんか観ていられるんだ!探しに行くぞ!」って怒られて・・。でも、私は戻ってくるって思ってたんで。 私も家出の経験があるので、だから、わかるんですよね。その気持ちが。以前から「家出したい」と言っていたので、構想は練っていて、実行に移したんだと思いますけど、大人になってみれば、いい経験だったと思うんじゃないかと。 警察は学校にまで連絡を入れちゃって、「事件に巻き込まれると心配ですから」と言って、みんな悪い方から考えていく・・。 ・Aさん・ 子どもを信頼するということが、ブログなどにもよく書かれているんですけど、信頼するにも、やみくもにただ、「信頼してます」というのではなく、方向性を持って信頼するということが書いてあって、本当はすごく不安なのに、表面上だけ「信頼する」ということではない気がして、その方向性みたいなことが大事なんじゃないかと・・。 ・Bさん・ 方向性って例えばどんなことですか? ・Aさん・ 確信・・というか・・。 @ お話を伺っていて、Aさんがおっしゃる様に、信頼、というところだな・・と思いました。まず、周りの人たち、私たちの三男君に対しての心配、それを手放していかなきゃいけない。Bさんは、その心配を手放すということをやっておられて、だから、家出をしていてもテレビを観るというこができて、ちゃんと、三男君の、強さや、もっと自分の持っている何かを発揮したい、という意欲とかを見ている。「それを私が、もっと信頼できますように」というのと、やみくもに「なんだかわからないけど、信頼します」というのは、やっぱり、ちょっと違うと思います。心配な気持ちや、不安がでてきたら、まず、それを手放すことを、ホーリースピリットに助けてください。なんだかわからないので、助けてください。とお願いすることだと思います。 まだ幼い子どもたちは、手段的に「家出」という発想かもしれないけど、もう少し年齢がいったら、一人暮らししたい、とか、家から出たい、となるかもしれない。子どもたちは本当は、もっと自分を信頼して、静かに見ていてほしい。私はそんなにできない子じゃない。弱い、小さいところへ私を閉じ込めないで。と、そういうことが言いたいんじゃないかな・・と思うんです。それから、自分でもそういう自分を見てみたい、と思っているかもしれません。それをBさんがちゃんと受け止めて、やりたいようにやらせてあげているのは、三男君にとっても私たちにとっても、支えだし、励みになるのかなと思います。ですが、学校はコミュニケーションを学ぶ絶好の場だと思うし、そういう意味では、できれば行けるほうがいいのかもしれません。でも、それが絶対じゃない、とも思いますけど、「大丈夫だよ」とまず、やれることをやりに行こう、というように、徐々に、コミュ二ケートをしに出かけていけたらいいのではないかと思いました。 三男君の学校の先生は、すごく熱心な先生で、家庭訪問や、電話をくださって、「お話できますか?」と聞かれると、Bさんは、つい電話を取り次いでしまうのだけど、それがあったあとはいつも、「死にたい」と三男君が始まってしまうので、先生に、「もう連絡しないでください」とお願いしようと思っているとのことでした。 お子さんが、先生と話すのが嫌だというなら、それも尊重してあげて、先生とお母さんが、コミュニケーションを取っていくだけでもいいのではないか、という晴美さんのお話には、皆で、その通りだね、と深く同感でした。 自分の子どもの口から「死にたい」という言葉がでること、その言葉を聞くことは、親にとっては、たまらなく悲しく辛いことです。親が子に対して、自分の無力さを感じる瞬間でもあるな、と思いました。けれども私たちができることは、この無力という、セパレーションを外していく事を、ホーリースピリットにお願いすることだけ。そして、無限の力と自由を、三男君自身が一番、感じたいことなのではないかと、思いました。 そのほか、ゲームばかりやっていて、依存症という心配もあるし、学校へ行かないことも、ゲームばかりをやっていることも、お父さんは、「逃げ」というふうに捉えているというお話もありました。 今、自分はどうするべきか、ということは、実は子ども自身が一番よく考えていて、このままじゃいけないと思っているから、やめなきゃ、やめなきゃ、と思っているから、ゲームをやめられないのかもしれません。 「もう、こんなに時間経っているよ」「あとこれくらいで終わりにしよう」という声掛けを、ついしてしまうけど、やはりそれは、「これじゃいけない、このままじゃいけない、自分はダメなんだ」という罪悪感になり、罪悪感が、それにしがみつかせるのかもしれない。思う存分、やっているその中に、何かを見つけることができたら、ふと、もうやめよう、と思うときがくるかもしれない。などということ皆で話し合いました。 一つずつ、丁寧に、自分の心を見て正していく、グラウンディングで包みながら、お部屋のお片づけをしながら、決して自分で何かや、誰かを変えようとはせず、心だけを見ているお二人のお話を伺って、私たちの心も襟も正されたように感じました。 今回も、素晴らしい導きをしてくださった、Aさん、Bさん、ありがとうございました。

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