目黒レポート 渡邊美智恵 小泉晴美

7/9/2013

今回の目黒じゃない会は、自分の中で、目立って気になる人、出来事、状況、などに対して、自分の思い込みや、ジャッジを外していく。心の設定を変えていく。ということを学びあい、分かち合えたと思います。
 

いつものように瞑想から始め、グラウンディングをし、信頼しあう一つの光となり、じゃない会がスタートしました。
 

晴美

 

近況からシェアしていただけますか?
 

Aさん

 

前回の参加のときは、一番下の次男がまだ1年生だった。

 

そのとき次男のクラスに、やんちゃな大将とその取り巻きが居た。私は、その大将だけでなく、それに付いていく取り巻きの方も問題だと思っていたので、そのように、いつも先生や父兄にお話をしていた。先生は子どもたちを指導してくれて、2年生になって担任が変わっり、めちゃくちゃ遊んでくれる男の先生になって、クラスも、子どもも成長したのか、やんちゃな大将とその取り巻きが起こす問題はなくなっていった。

 

目下の気になるところは、中学2年の長女が学校の面談のとき、「お嬢さん、お勉強は普通なんですけど、お口悪いですね。」と先生に言われたこと。このとき、これは私のエゴだとか、ACIMのレッスンだ、じゃなくて、「お母さんはこんな事を言われたのは初めてだ!勉強はできなくてもいいから、態度は改めようよ!」と、怒ってしまった。イラッとすることがあっても、親は親、先生は先生。言葉遣いの悪さで「あなたも損するんだよ」とエゴ的な話もしてしまい、言葉遣いや態度の悪さが進学にもひびくかもしれないと、不安になる。

 

5年生の長男はいい子だと思っていたら、女の子とお手紙交換したりしていた。「あんた、受験したいんでしょ?」と言って、やめるように促したりしている。

 

長男がすごく嫌っている男の子(以下A君)が居て、「あいつが階段を降りてるときに蹴ってきたから蹴り返した」とか言ったりする。A君はちょっと変わっている子で、多動症ではないかと思うのだけど、親が認めていないというか。運動会の組体操の練習でも、A君が何かをしたがために、組体操の型が激しく崩れるということもあり、他の母親たちも危険だ・・と指摘したりしている。長男が「Aが危ないことをするから注意してください」と先生に言ったら、「キミがそんな事を言う必要ないだろう。僕が見つけたら僕が注意するから」と言われ、長男はガンと落ち込んだ。長男は手先が器用で、折り紙で立方体とか凝ったものを作れるのだけど、それをA君にグシャッとやられてゴミ箱に捨てられたこともある。他の子は「あ~ぁ、もったいな~い」という感じで、長男の、自分の作品を壊された、という気持ちを、先生に訴えたけど「やったところを見てないし、注意なんてできない」って言われてしまった。

 

前年度までは、優しい、手厚い先生だったけど、今の担任は熱血男子の先生で、もう5年生なんだからいいじゃん・・みたいな感じの先生で、長男とは合わないだろうなぁ・・と思っていたけど、やはり長男は先生に対して、不信感でいっぱいになってしまった。なので先生に、「子供が話をしたときに、もう少し対応していただけたら、ちょっと変わると思うんですけど・・」と、お話しした。先生には、「その場ですぐ対応したら、お前、言いつけただろう!という事にもなり兼ねないと思ったので、素っ気ない返事をしました」と言われた。私は納得いかない感じ・・。

 

A君も「僕が悪いんだ・・」というのがわからないものなのか・・。と。

 

水田真紀子先生のSkypeレッスンでも話題にしたんだけど、「それは、Aさんが見ていることだから・・」と言われて・・。何かスッキリしない。そこが私の問題です。
 

美智恵

 

現場を押さえていないから注意できない・・というのではなく、互いの事情を聴いて、二人のやり取りをリードしてくれたら、友達を尊重するとか、思いやりを持つとかもできるようになるんではないかな・・とは思うけど、中学2年生くらいになっても、人に迷惑をかけないということ、言葉や態度で人を攻撃しない、人を思いやるということを、この子たちは、わかっていないんじゃないか・・と思うことが私もしょっちゅうあります。

 

でも、そこだけを見て、いろいろジャッジして、「わぁ~」ってやってると、何も収拾がつかないから、やっぱりそこは、こちらのジャッジを外して、いかに相手の本当の部分を見ていけるかの練習よね。家でも、母親がそのように本当の部分を見ていたら、長男君も距離を置いている友達のことが気にならなくなるのでは・・。
 

Aさん

 

長男は正義を愛する男で、先生が、右、と言ったら右じゃなくちゃダメで、その子が左に行っちゃうと、気になっちゃって、「右って言ってるんだから右に来いよ!」というタイプ。ちょっと柔軟にいけないタイプなんだけど、「でも言ってることは正しい」と先生には言われる。母としては、もうちょっと真ん中くらいに来てくれるといいのに、そこに来ないから、ぶつかる回数も気になる回数も多くなってしまう。
 

晴美

 

Aさんのその心は、もうちょっと先生にサポートしてもらいたい・・という思い?
 

Aさん

 

サポートしてもらいたいと言うよりは、子どもが先生に対して不信感を募らせそうなので、そこをわかっていただきたい。子どもの話をもう少し聞いてくれるだけで、違ってくると思うし、とにかく先生に対して不信感を募らせているのが心配。

 

A君が何かすると、皆がやり返したりするので、A君のことを心配している自分がいる。A君が公園で頭から砂をかけられていた話を聞いたりすると、A君だって嫌な思いをしている・・、なのになぜ、A君は変わらないのかな・・。わからないのかな・・、と思う。そのわからない・・というところで、多動という病気じゃないの?とか思ってしまう。迫害ではないけど、いろいろ言われているのに、A君は悲しい、寂しい、とか無いのかな?と思ってしまう。
 

美智恵

 

A君は、悲しくもないし、寂しいとも思っていないかもしれない。そう考えると、やはり、こちら側の問題。相手が変わることはやっぱり期待できないじゃない?自分の見方が変われば、A君の行動、言動が気にならなくなるんじゃないかな。

 

Aさん

 

全く気にはならないんだけど、すごく不思議に見える。A君のお母さんはどう思っているんだろう?とか。長男が、「A君に、こういうことされて嫌だった。」と泣いたりもしたので・・。

 

晴美

 

「お母さんにどうしてほしい?」と聞いてみたらどうかな?ただお母さんに聞いてほしいだけだったりするかもしれないし、母親に聞いてもらえるだけで心強いことだから、「何かお母さんにアクションしてほしい?」と、どこまでいっても私は、あなたを信頼しているというところを、一緒に寄り添う。繰り返し、自分の動揺を訂正して、真実を見せてください。というところを祈ることが、私たちのしていくことだと思うし、「お母さん学校に怒鳴り込もうか?じゃないけども・・。(笑)」

 

でも、Aさん一生懸命寄り添っていらっしゃると思う。例えば、相手のお子さんやお母さんに興味があったら、アクションを起こしてもいいと思うのよね。

Aさん

 

A君のお母さんのことは、委員会などで一緒に仕事をした仲で知っている。お母さんは、子どもが迷惑をかけていることはわかっているけど、成長とともに無くなるだろうくらいに思っているのか、すごく申し訳ない、すごく心配、という感じではない。だから、自分の子どもが砂をかけられたりしているのを、このお母さんは知らないんじゃないか・・、と思う。そんなことを考えている私を見て、他の友人に「またA君のお母さんに言おうと思っている?」と言われて・・。でももし、自分の子どもがそうだったら、知っておきたいと私は思うけど、みんながみんな、そうではないのかな・・と思うから黙っている。

 

晴美

 

Aさんのお子さんは、彼の存在そのものに心が揺れているのかもしれないわね。もしかしたら、コミュニケーションをとっていくいい機会なのかもしれない。Aさんが遠慮せずに愛をもっと出して言ったら?
 

Aさん

 

A君は一年生のときから、変わった迷惑な子、と思われていて、たまたま5年生で同じクラスになって、長男とは合わないだろうな・・と思っているので、A君のお母さんともっと話をして親しくなればいいんだろうと思うけど、大きな誤解を招いてしまうかも・・という心配もあって・・。A君のお母さんは「うちの子が迷惑をかけている」ということを認めたがらない。だから私が見聞きしたA君のことを伝えても、「みんなにそんなことされちゃってるの?うちの子」というふうになり兼ねないなと思って。「うちの子も悪い」というように、まっすぐに捉えてくれないような気がして、コミュニケーションをとっていく自信がない。

 

A君は、読み聞かせとかでは、騒ぎもせず、普通に聞いていられる。「それくらい静かだといいのに。」と子どもたちも口々に言っている。
 

 

晴美

 

Aさんの、本当の気持ちに正直にね。無理にコミュニケーションとらなくてはいけない・・ということではないと思うし、でも私たちはまだ起こっていないことに対してすごく不安だったりもするし、こう言ったらこう思われちゃうかな・・とか思ったらもう何もできなくなってしまう。そこだけ訂正していく。話したいな・・と思うときに話せばいいし、話したくないときは話さなくていい。息子さんのオープンさに寄り添っているというのが何より一番だと思うし、その子がAさんの心にある不安とかを見せてくれているのかもしれないし。

 

美智恵

 

今、話を聞いていると、一年生の時からこうだった・・とか、過去を見てのジャッジがあるけど、そういったものも訂正して、愛をもって迎え入れるためにも、伝えて誤解されたらどうしようとか思わずに、A君の心配もしているわけだから、自分の気持ちとして、「おたくのお子さんのことも大切だから、私は言ってるんだよ」と伝えていってもいいんじゃないかな。批判的な思いで伝えると、相手もどうとるかわからないし、逆にうちは被害者側となるかもしれないけど、そうじゃなくて、やっぱり砂をかけられたりしたA君の話などを聞いて、自分の心も痛いし、心配だし、大切だから伝えるけど・・というような心でだったら、いくらでも話し合えるんじゃないかな。そこは心と心で繋いでいくとこだと思う。

 

Aさん

 

うちの子が被害者で、あんたんちが悪いのよ・・っていう気持が私の中にあるから、それを被せていきそうな気がして、それで誤解を招きそうと思っているのかもしれない。対等で、「私はこういう気持なんだ・・。心配もしているし・・。」というニュアンスでいけば、違ってくるかもしれないですね。私は「うちの子が大事」という気持が強いのかな。

 

美智恵

 

みんな、うちの子は大事だと思う。でも、「うちの子」とやってしまうのがエゴの部分で、「みんな大事」というのがスピリットの部分であるとしたら、そこを使ってやっていきたいよね。

 

Aさん

 

たとえば「みんな大丈夫」というスタンスとしていくとしたら、何か言わなくても結果的には大丈夫、と思うんでしょうかね。子どもを信じておけば「大丈夫」って・・。

 

美智恵

 

スピリットの部分では、「大丈夫」なんだっていうのはわかっているんだよね。

 

でも、この幻想世界では、いろいろルールがあるし、教えていかなきゃいけないこともたくさんあるから、そこの部分では「大丈夫」と思えなくて、まだまだ気を抜かずに目をかけていかなきゃいけないところがいっぱいあるとは思う。肉体を持っていろいろ学んでいるので、失敗は有りだよ、ということも学んでいくことだと思う。

 

Aさん

 

そうやって言ったり、選んだりしていくことで、「あ、違うんだ」と思う事もあるじゃない?でも結果的には、AをしてもBをしても一緒なの?
 

美智恵

 

結果的には、自分の心が出発点だから同じ。Aを選んでスムーズにいく人生も、Bを選んで「あ、違うんだ」と気づきながらいく人生も、結局は自分の心の通りになるんだから結果は一緒。道は二つに見えるけど、どっちを選んでも、行き着くところは自分の心が思い描いているところへいく。

 

晴美

 

遠回りと言う言い方はおかしいかもしれないけど、気づいて、訂正して、正気に戻って、の繰り返しでいるので、その自分をジャッジしないで許していく。

 

ケネスさんの本の中に、「私たちの持っている罪悪感というのは膨大なもので、その罪悪感にいっぺんに向き合ったら、私たちは死んでしまうか発狂してしまうほどのもの。罪悪感を取り消すことは、一生かけて取り組むべき課題です。」と。右往左往しながらゆっくりやっていけばいい。エゴは全部、NOというけど、スピリットはずっと先を行っている。

 

Aさん

 

自分は、こういう場に参加したり、ACIMを学んだり、頑張っている・・じゃないけど、ワークをやったりしている。だけど、なんにもしてなさそうなのに、幸せなお母さんもいる。そこの違いってなんだろう・・と、よく思う。何もしなくても、悩んでなさそうに見える人を、いいな・・と思ったり、子どもも、いい子でしっかりしていて、いいな・・と思ったりする。

 

美智恵

 

何もしないでお任せしているからじゃないかな。心の中に、何の不安も心配もないから、その通りのものが、そのお母さんの周りには描かれている。

 

Aさん

 

私はワークだったり、いろいろしているのに、彼女は考えなくてもできているということ?

 

美智恵

 

できているというか、私たちがワークするのは、自分の中の罪悪感を手放していきたいから、本当の自分を思い出したいからワークする。その彼女は、スピリチュアル的にどうこうではなく、自分の罪悪感的な感情に囚われない、取りあわない、罪悪感的なところに意識をフォーカスしてないから、幸せそうに見えたり、きっとその方は子どもたちにも細かいことを言わないだろうから、子どもたちも伸び伸びと自分を確立していっているのかもしれないし。でもやっぱり、一番の問題は何かと言ったら、「なんで私はこんななのに、あなたは・・」と思うのではなく「私も彼女も同じだったね」と思い出すことじゃないかな。「あのお母さんはできているのに、私はできてない。」そういう分離感があって、自分で自分を小さく見ている、というところに問題があるかもね。それは、手放せばいいだけのことだから。

 

Aさん

 

「なんで私は・・」と思うこと自体が自分を責めちゃってることになるんですよね。

かなりスッキリした。

 

Bさん

 

人が幸せそうに見えるって、わかりませんからね。僕の患者さんでも、幸せそうに見えるけど、背中はコチンコチンで、何かあるな・・ていうのがわかる。体は嘘をつかないから。

 

ご主人の浮気を知っていて、黙って抱えていたけど、それを見せないがために毎日ハッピーに見せていた、という患者さんがいました。傍目には、わからないですよね。だからジャッジしない。本当のところはわからない、ということが、僕は、レッスン365を通してわかった。一番初めのタイトルの「私は何も知らない」というのを改めて認識できたのはすごく大きいことだった。あまり難しく考えてもわからないし、自分でどうこうしてもできないし。だからもしかしたら、Aさんがそんなにしなくても周りが動いてくれるかもしれないし。何もするなということではなくて、あまり自分であれこれ考えてなんとか解決しようと試みようとしなくても任せていいんじゃないかな。
 

 

Aさん

 

一回、引いたことがある。「あの多動症っぽいA君て、やられちゃってる事も多いよね」って他のママに話したら、「うちの子、学校のことは話さないし、初めて一緒のクラスになったから・・」って言われて、これだけ気にしない事でもあるのかな・・と思って。

 

Bさん

 

多動症っていう見方が投影されちゃってるんでしょうね。僕は背が小さかったから、一番前だった。一番前なのに、堂々と後ろを向いて、他の人にちょっかい出したりしてました。消しゴム投げたり。ただ単に遊びたかっただけだけど。
 

Aさん

低学年だったら落ち着きないのも仕方ない・・と思えるけど、年齢があがってきてるんだから気づけよ、と思っちゃう。気づかないのがすごく不思議。周りも「嫌だ」とすごくアピールしてきて、自分だって痛い目にあうのに、なんでやめないんだろう。

 

美智恵

 

前回、Aさんが、子どもたちの目の前までいって、「こんにちは!」って挨拶をするようにしているってシェアしてくれたけど、それを聞いて、学校に行かなくても、家に居ても、仕事先でもできること、スピリットに「ハロー」を言うことを思い出した。心配な子に対して、「ハロー」と光を送っていると、まず自分が落ち着いてくる。そうすると、次にその子に会ったときもクリアな気持ちでいられるのを感じられた。できることはいろいろあると思う。

 

晴美

 

B先生の近況を教えていただけますか?

 

Bさん

 

この間のセミナーから、自分が自動的に信じてきたことが本当に正しいのか。「自分が初期設定していたことを変える。」もともと、コースの中でもそういうことが出てくるんだけども、それを特に意識して過ごしている。

 

脱線しちゃうけど、ある日、家に帰ったら娘と奥さんが喧嘩していた。玄関で「いいわよ!私が出ていくから!」と言っている奥さんを、息子が止めていた。娘は泣いていた。理由は些細なことで、奥さんと息子が、よかれと思って選んで買ってきた服を、娘が「あぁ、これ買ってきちゃったんだ・・」みたいな言い方したときに、奥さんがスイッチ入って、「あんた、あたしが買ってきたのに!」となってしまった。娘が最初に、「もう嫌だ!出ていく!」となったみたいだけど、「そんなことしたら虐待になるから私が出ていくわよ!」みたいなノリでこうなっていて、僕はまだ仕事着の白衣のまま、奥さんと娘の間を取り持つように、何往復もして・・。「おれは伝書鳩か!」と冗談を言っても誰も笑ってくれない。(笑)結局奥さんがシビレをきらして出ていってしまった。僕は娘と話し合って、「戻ってきてください」と奥さんにメールをしたけど、その返信が「私はここで敗北するわけにはいかない・負けるわけにはいかない」という内容で戻ってきてくれない。その時点でもう夜も11時を過ぎていて、娘はまだ興奮していた。けど息子が、「僕もムカつくことあるけど、ちゃんと話すと、お母さん聞いてくれるよ。」と娘に言ってくれて、娘がちょっと変わった瞬間があった。その時に、今だな・・と思って「本当に早く帰って来てください。あとは僕がやるから。」と奥さんに再びメールしたら、帰って来て、娘も謝って、事は収まった。だから勝手に事は運ぶ、と言うのかな。さっき、二つ道があって・・という話があったけど、いくとこは多分ひとつ。それは平和であったり、癒しであったり、僕が思っている以上の奥深いところで物事が動く。それはもう、スピリットが完全に持って行ってくれるわけですから。目の前の瞬間の事は、もちろん一生懸命やる。だから僕も、奥さんに働きかけ、娘とも話し、その中で息子がまた娘に話をしてくれた。自分が動かなくても、こちらが思ってる以上にうまく解決していく。

 

レッスンは日常に当てはめていくことじゃないですか。その時のレッスンって必ず意味があると思いませんか?そのAさんの、多動児的な子もレッスンにあてはめていくのはどうですか?

 

初期設定も変えなきゃ。でもそれがすごく難しいことで、僕はかなり意識しながら生活しています。一見、レンガのように見える四角いものも、実は違う発泡素材だったりして、持ってみないと重さはわからないし、触れてみないとわからないし、思い込みというものを変えなきゃ。

 

晴美

 

Bさんは、家族の中で体当たりしてるんですね。めんどくさいと思う事を、めんどくさがらずに、丁寧にコミュニケーションをとっていらっしゃるんですね。どうもありがとうございました。

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