西小山レポート 渡邊美智恵 小泉晴美

11/21/2013

Aさん
数か月前から、飼っている子犬の躾のために、しつけ方教室というのに通っています。
ドッグトレーナーにお任せをして躾てもらっても、帰って来てから指示をする人が違うと、犬が人を見分けて言うことを聞かなくなったりするので、指示をする私が、子犬をどうやって躾けるかを習う教室です。犬の躾も子育てと同じだと感じるので、今、私に赤ちゃんがいたらうまく育てられると思うくらい、「あぁ、なるほどね。」と思うことがあります。

美智恵
動物も人間も育て方は同じように思いますか?

Aさん
同じような気がします。赤ちゃんと同じで、子犬もおもちゃを食べてしまって、動物病院で吐かせたり、すごく大変だけど、あるとき、そういうことじゃなくて、「かけがえの無い存在として、目の前に居てくれている・・」というふうにわかったことがあって、そのようにスイッチが変わったら、世話は大変だけれど、以前のように嫌々やるんじゃなくなりました。
最近、ワークブックもやってなかったのですが、そのスイッチが変わった頃、真剣にやり直そうと思って、レッスン100、「私の役割は、神の計画の救いにおいて、欠くことのできないものです」で、「あなたが幸せじゃないといけない。自分たちを悲しませないようにしましょう。喜びが自分の役割である・・。」というふうに書いてあったところで、ハッと思いました。常に喜んでいたいです、何があっても喜びでいるように、と心を整えようと思いました。あれもこれもぐちゃぐちゃで、キィーッってなった時こそ、喜びに戻ろうと唱えるように意識して生活しています。

美智恵
ちゃんと躾けているんだからできるはずだ、とか、こうならなければならない、とか、いろんな期待を押し付けていると、思いどうりにいかなくて、「あれもこれもぐちゃぐちゃで、キーィッ!!」ってなるけど、「喜びのためにやる」というふうに変えていくのはいいですよね。

Aさん
わかります。役割を押し付けてるということですよね。そして、期待はことごとく裏切られる気がします。

晴美
自分が子どもに期待していることに気づかずに、日常のコミュニケーションを取りながら、目の前にいる子どもの言動を見て、「あ、また私、期待してたんだ・・」っていうのに気づくのよね。そして、「そっちじゃなくて、信頼にいきたいんだよね。」ということを、また思い出すことの繰り返しなのよね。子供が、「ほら、また期待してるよ・・。」って教えてくれているのよね。

美智恵
自分や相手の過去の失敗を見て、その過ちや、傷を繰り返さないように、子どもたちやペットを躾けたり、こうあるべき、こうするべき、そうすればもう自分は傷つかないはずだ・・と期待をかけているから、期待が外れると、裏切られた感じがしたり、傷ついてストレスになっている、と思っているところがあるよね。

Aさん
そうですね。それから罪悪感というか、自分がいけなかったと捉えてしまって、普通に平和に過ごしていて、ハッと夜中に目が覚めたときに、「あれがいけなかった。これがいけなかった。私はなんていけないんだろう・・、私って罪悪感だらけなんだ・・」と思って、その罪悪感から逃れるために、日常やらなくてはいけないことを、キッチリやりこなそうとしています。今日のやるべきことリストがキッチリやれたときに、「今日もちゃんとできた・・」というふうに寝るんだけど、また夜中に目が覚めたとき、「あれがいけなかった。過去の失敗がいけなかった。」と取り出してきては、すごい罪悪感を感じて、「明日もちゃんとやらないと・・」と明日に期待している・・(笑) 期待と罪悪感の間を、振り子のように揺れて、それで、きちんとやるべきことが出来ない状況に陥った時に、すごい焦るというか・・。
そのやるべきことができない焦りを感じたときに、「喜びでなくてはいけない」というのを思い出した出来事があって・・。病院の先生に、子どもを診てもらうために、いつも車で行くのだけど、その日は道が混んでいて予約の時間に絶対に間に合わないと思って、すごく焦ったけど、そういえば、こういうときこそ、「喜び。私は神の子。神さまに愛されているし大丈夫。」と心を整えて、心の中でホーリースピリットに語りかけて、そして結局、間に合ったことがありました。いろんなことが日常で起こるけど、それは、ちょっと穴みたいなもので、そこで、穴に落ちないようにどうするとか、穴に落ちたらどうしようと考えないで、ホーリースピリットに助けてもらえばいいんだというふうに転換できた経験があったことがすごくよくて。それからは、どこにいても心静かに・・。と意識している。そうすると、周りも落ち着いてくるように思います。相変わらず「えっ!?」と思うことは起きるけど、そこでの自分の心の反応だけを見ていればいいんだな・・と理解しました。

晴美
むしろ、そのように、「えっ!?」というふうに思うときこそ、心をちゃんと見る機会になるって思えるのよね。逆に、自分ですごく分かち合えたと満足感を持っている時の方が、期待しちゃっていることも多い感じがするの。「あの時、できたのに・・。」って。それでまた、私期待してたんだって気がつくのよね。(笑) だから繰り返しね。日常の日々の心の筋トレなんだなと思います。先日、香咲先生が、子どもとのコミュニケーションで、「育んでいないのに期待をかけてしまっている、だから育んでいくことね。」と、おっしゃっていらしたの。まさにそうだなと思います。

Aさん
小学校3~4年生って、思春期の前段階で、ちょっと生意気になって、偉そうなことも言いたいけど、まだママも必要としているような時期で、人の手助け無しには生きていけるはずがないのに、すごく偉そうなことを言うんです。あまりにひどい時は注意して、それ以外は関知しないようにしてたら、この間、娘を病院に連れて行った帰りに買い物をして、荷物を玄関に置いて、私だけまた薬局に薬を取りに行き、自宅にもどったら、買い物したものが、冷蔵庫にきれいに収められていました。そんなこと、何も期待していなかったのに、そういうところでちゃんと見せてくれたりするんですね。 それから、お小遣いやお年玉を使って買い物をしたいと言うのだけど、わたしが言わなくてもちゃんと計画的に使っているし、お金の貯め方もわかっている。全然期待していないところで、ポンと返してくれるときがあるから、とても嬉しいです。でも、そのあとに、これができるなら、これもできるよね!!って期待してしまうので、そうすると、たいていまた期待が外れるんですよね。(笑)

晴美
そうね。すぐに見るところがズレちゃうのよね。子どもにお手伝いをしてもらうにしても、「もう言わなくてもわかっているはずよね。」と期待して、子どもには「言ってくれなきゃわからないよ。」と言われてしまったりね。育んできてないのよね。 (笑)  やっぱり、いちいち訂正して、コツコツと・・ということを、日々感じます。

Aさん
子どもを育てていて思うのは、ある程度の事はやらせなきゃいけないと思って、勉強でも、立ち居振る舞いでもなんでも、身に付けて欲しいからやらせる以上、教えて終わりじゃなくて、そこに期待がすごく付いてしまいます。 期待なしに教えるということはすごく難しく感じます。
この間、テレビで、「別に・・」とか「あぁ、うん・・」とかしか言わないような、あまりしゃべらない思春期の子どもたちって、それ以上話して、「そうじゃない、あぁじゃない。」と言われることですごく傷つくから、自分の心を守って、言われないようにしていると言っていました。
それで、「あぁ、そうだな・・。心を守っているんだな・・、あの子たち・・。」って思ったんです。今、3年生の娘も、「あーっ!!」と叫ぶようになって、なぜ、そういうことをするのか聞いたら、「それ以上、ママに言われたくないから。「あーっ!!」って言えば終わるから。」と言われました。「自分はやろうと思っているのに、言われるといやだから・・。」と、私が小さい時に思っていたことと同じことを言うから、「そうなんだ・・」と思いながらも「でも、ご飯の時間もあるし、この時間までに宿題を終わらせなければ、お風呂も入れないし、寝るのも遅くなるよね。いろんなことが滞るから、ここまでの時間に、これこれをしてほしい、と思うからママは言うんだけど、○○ちゃんがなかなかしてくれないから、ママはいろいろ言っちゃうんだよ。」と言うと、娘も「そうか、わかった。」と行動に移すんだけど、次の日からきちんとできるわけじゃなくて、毎日がその繰り返しです。娘には、あれもしたい、これもしたい、これが終ったらテレビも観たいという気持ちがあるのに、途中で「ご飯だよ」と言われると、すごく嫌だということで、「あーっ!!」って言うのだそうです。でもその気持ちを聞いたら、「あーっ!!」って言われても、私も笑っちゃうんです。今はそういう会話だけど、もっと大きくなったら、また変わるんでしょうね。

 

美智恵
日常の流れに沿って、こうしたらいいんじゃないか、こうしてくれたら全てが滞りなくいくし、そのように無駄なくやってほしいという期待を込めて言っていくわけだけど、その期待が悪いという事じゃなくて、それが「育んでいく」ということにもなるだろうから、育んでいくためには、子どもからどんな言葉が返ってこようと、親もいちいち傷ついている場合じゃないな・・というふうに思えますよね。子供が思春期になって、「あ、そ。それで?」と、冷めた返事が返ってくることもあるけど、それは表面的なもので、心の中は違う思いがあると思うし、娘の態度や言動を、怖がらずに信頼して「やろうよ」と伝えて、いちいち傷つかずに受け取る、ということが最近になってやっとできるようになったかな。

Aさん
思春期になると、脳が、情報を詰め込んでいく子どもの脳から、感情を豊かにしていく脳に切り替わっていくから、誤作動がおきて、眠くなってだらしないのもしょうがない・・と、脳科学者の方が言っていました。年齢が進んで、物忘れが激しくなるのも違う脳に切り替わるから、それでいいんですって。そういう観点から見ると、「なるほどな・・。今、切り替わっているときなんだな・・。」と思って、ちょっと余裕ができます。
それから、スマホは常に電磁波が出ているから、脳に刺激を与えるので、枕元に置いて寝るのはよくないと聞くし、使用時間の制限も親がするのは難しいし、なりすましとか犯罪に巻き込まれる可能性も気になるし。
それから、犬の散歩をしていた時、配達をしていた中年の男性が、若い男性にぶつかって、絡まれているのを見て、すごく怖かったので、娘に、「ランドセルが、ぶつかったりしないよう、周りをよく見るんだよ。」とか、「犬嫌いの人がいるから、散歩のときはあの通りは通っちゃダメだよ。」とか、恐怖ばかりを植え付けてしまいます。わたしが見てしまったことと、私たちは、本当は神さまに守れている、神の子なんだから・・という折り合いをつけるのがすごく難しいです。

美智恵
スマホは、とても便利なツールだけど、時間や使い方は、子ども自身が自分で決められるように、ルールを作る理由を自分で見つけないと、制限は難しいですよね。私達は完璧な自由を与えられていて、苦しんでも、何があっても、何を経験するかは自由なわけだから、「危ない!危ない!」と制限をするより、なんのために使うのかを、ちゃんと知っていけたらいいよね。絡んできた人も犬嫌いの人も神の子だしね。そういう怖い状況を見て、その恐怖を捧げつつ、そこに神の子を見る・・そういう心を育むためにも、必要な経験かもしれないわね。

Aさん
この間、クラスでいじめっ子のA子ちゃんが、仲良くしていたB子ちゃんを無視するようになって、でも遊び相手がいなくなると、B子ちゃんを誘って、B子ちゃんをいじめる・・ということがあって、B子ちゃんのお母さんに「そんなの、嫌じゃない?」と聞いたら、「A子ちゃんは、本当に幸せなのかな。無視したり、いじめたりしていて、あの子は幸せじゃないと思う。」と言うのを聞いて、それまでは、自分の娘がいじめられた時、「そういう子とは遊ぶのをやめなさい。」とか「距離を持って付き合えばいいし・・。」と言っていたけど、よくよく考えると、B子ちゃんのお母さんの言っていることは正しいし、A子ちゃんのことこそ、よく見てあげなきゃいけないし、見方を変えていかなきゃいけないな・・と思いました。自分の子どもだけじゃなくて、全部の子どもが幸せになれること、そういうことを考えて動いて見ていかないといけない。まず、行動で働きかけるのじゃなくて、接することで、「あなたも神の子だから」とアピールしていきたいけど、心を閉じている状態の人に何をしてもしょうがない、というか・・。

美智恵
「あなたも神の子よね」と思いながら接するだけでいいんじゃないかと思うわよ。

Aさん
そうね。そこで何か変わってもらいたいと期待をしているから、何をしても仕方がないとなるのね。(笑)

美智恵
私達の心って、過去の記憶や、いろんな事件や出来事にどっぷり浸かっていたり、とっさにそこから判断して、いろんなものをくっ付けて、今の状況を作って見ているんだけど、ホーリースピリットに心を合わせていけば、同じ状況のものでも、結果は変わってくるんだよね。

Aさん
それが救いで、私たちの役割なんですね。

美智恵
それで、A子ちゃんも救われる。意地悪なA子ちゃんじゃなくて、神の子としてのA子ちゃんが私たちの心の中に存在していたことに気づくことが、救いになるのよね。

晴美
わたし達は、どうしても、目で見たことの衝撃や動揺の収めどころがなくて怖がってしまうけれど、そこから真実を見せてください、と祈るしかないのよね。真実を見たいです、ということしかできないのよね。

Aさん
他のお母さんの話を聞いていると、子どもを褒めないというか、高い設定を掲げて期待をしていて、子どもはしんどいだろうな・・って思います。そう言いながら、自分も、低いながらも子供に設定して、ここまではやれるだろうと期待してしまうので、そこがすごく難しいですね。

美智恵
そういう期待がある限りは、設定して達成ができた。それで満足した。で、また次の目標を作って達成しなければと期待の繰り返しになるけど、そこを、ありのままに見ると、それはクリアするような目標ではなく、ただただ自分の愛を出していくことが目標になるのよね。
攻撃しない、守らないとなると、期待すること自体が攻撃のように感じますね。

Aさん
口に出して言わなくても、心の中で思っているだけで攻撃になる・・って前に聞いたのがすごく印象的で、道を歩いていても、あの人だ・・道を変えよう・・と、判断していて、それが嫌だなとは思うけど、せずにはいられないというか・・。それも攻撃しないまま・・ということは、しちゃいけないということですか?

美智恵
買い物に行ったって、この食べ物は危険か、そうじゃないかと、自分の身を大事にするには、そういう判断はせずにはいられないわよね。危険な人物は避けようとか、(笑) 反射的に思っちゃうのだから、うわっ!!て思っちゃったときに、訂正するのよね。

晴美
怖がってるんだな・・ということを認めちゃえば、こんな自分は居心地が悪いわけだし、安心の中にもどりたいな・・と思うことよね。その人の光を見ようとしてもなかなか見れなかったら、自分が安心でいること、安心にいきたいですと思うことよね。どういうふうにしても私たちは、光でしかないわけだから、また私はズレてました。忘れてました、ということだけなのよね。

Aさん
時々、今、光がここにあるな・・と垣間見えるときがありますよね。

晴美
そうね、例えば、電車の中で誰かにぶつかったとき、相手が、「ごめんなさい」と謝ってくれた。その瞬間に、人の優しさに触れて、自分の心もあたたかくなって、優しい気持ちになれる・・。これが正気なんだな、というふうに思い出させてくれてありがとう・・と、そういうことも、本当に戻れた瞬間で、その瞬間は、どこでどういうふうに経験できるかというと、どこででもできるし、そういうことを思い出していきたいのよね。そんな経験を重ねていきたいわね。

美智恵
今日は、瞑想が最後になりましたが、いつものように、グラウンディングをして終わりにしたいと思います。

感想
大きさや形はいろいろと違っても、子育てをしていくにあたって、どうしても抱いてしまう期待ですが、期待をしている時には、相手のありのままを見ていないのだと思います。
別の見方を取り入れて、期待を手放す。ありのままを見て、相手を一生懸命に愛す、ということを期待の代わりに、目標設定としていきたいと思いました。
参加してくださり、たくさんのシェアをしてくださったAさん、ありがとうございました。

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