中野レポート 積田美也子 小野永保子

12/26/2013

 

2012年の最後の会は、中野・東京「完璧な家族の(じゃない!)会」として、ゲスト講師に、※CRS http://www.crsny.org/jaで、「じゃない会」をリードされている小野永保子さんをお迎えして、開催させていただきました。

 

※CRS(Center for Remembering & Sharing)は、NYにある「奇跡のコース」のラーニングセンターです。ホームページ http://www.crsny.org/ja「じゃない会」は、子育ての悩みや疑問を分かち合いによって解決し、奇跡の子育てを実践することを目的に、CRSで発足しました。CRSを中心に、日本の各地でも「じゃない会」がスタートしています。

 

今回は、小さいお子さんから中高生のお子さんがいるお母さん方のほか、子育てが一段落されたり、お孫さんがおられる方、これからお子さんを持ちたい方、ご家族との関係を見つめたい方などにご参加いただきました。年末のこの時期に、わかちあいの時間のためにおいでくださった皆様、ありがとうございました。

 

まず、永保子さんの誘導瞑想からスタートしました。

 

グラウンディングのラインが天から降りて来て頭から入り、尾てい骨を通って地球の中心までしっかりとつながっているのをイメージします。会場にいるお子さんにも、尾てい骨からラインを降ろしてさしあげて、この場にいないご家族や、気になる方やペットにも、ラインが地球の中心までしっかりつながっているのをイメージします。ご自分のラインを通って、あらゆる思いが落ちていくのを眺め、さらに良きことを受け取るためのスペースを作る準備をします。宇宙の叡智、プラーナが無尽蔵に下りてきて頭から入って体中に広がり、細胞のすみずみまで光で満たされて、さらに光が広がって、光の球体に体が包まれるのを感じます。光が部屋全体にまで広がり、お隣やこの部屋の方たちをお互いにふんわりと包んでいます。光は、愛、調和、平安、喜びそのものなので、私たちは見守られ、助けられ、愛されています。違いを見ず、平和であり、お互いに奇跡をさしだし、受け取り、分かち合うことができます。(その後、呼吸に注意を向けます。)大きく広がった光の球体を、ご自分の胸のところにある一点におさめていきます。

 

その後、自己紹介、シェアリングで、みなさまからお話をいただきました。

 

@「じゃない会」のブログを見て、いいなあと思って参加しました。

 

@「奇跡のコース」を敷居の高いものにしたくなくて、日常生活のなかで経験を重ねていきたいという思いがあり、来月から「じゃない会」を始めます。気ぜわしいと感じている、娘の高校受験が終わってからではなくて、たった今、みなさんとシェアしたいと思います。

 

@中学生の子供の学校が荒れています。学年委員をしているので、いじめや授業妨害のことを先生方とお話しする中で、現場で奇跡のコースを役立てたいという思いが沸きました。一人では心の訂正が難しいことが多いので、わたしもご一緒に「じゃない会」を始めます。そして、一人一人の子供とのコミュニケーションが大事だということを、投げかけていきたいと思います。
 

@彼と同居していますが、家族を作ること、一緒に住むこと、結婚することの意味がよくわかりませんでした。実家にいる父とも、なにをコミュニケーションしたらいいかわからなかったのですが、先月から父と直接コミュニケーションをとることができるようになり、彼にも、日常に感じることをそのまま伝えていいと思えるようになりました。父親とのこだわりが解けて、コミュニケーションが始まったという感じがしています。わたしは聞くほうが得意だという思い込みがあり、今までは待っているしかなく、無言で家事を気ぜわしくやって済ませていたのですが、思い込みがどんどんはずれてきて、思うことや気になることをそのまま伝えて、その先にある光を、彼の本当の姿を見たいと思うようになりました。自分の気持ちをよく話すようになったので、実家の父も彼も驚いています。受け取ってもらって、自分も受け止めるということを始めて、それが会話の意味なんだなと思うようになりました。まわりの人に対する信頼、そして助けを求め、受け取るということをやっていきたいです。

 

(美也子)

 

素晴らしい気づきですね。待っていないで自分から一歩踏み出すこと、相手に受け取ってもらい、自分も受け取ること。お父さまとの間でじわじわと広がるものを感じました。

 

@結婚してしばらくたちますが、子供はいません。毎年のようにそろそろとは思うのですが、親を喜ばせたかったり、年齢のこともあって子供が欲しいのであり、心から望んでいるのかどうか疑問です。このまま授からないのも恐いけれど、今本当に授かったとして、「私なんかが親になれるのかな・・」と思います。夫は欲しがっているし、わたしが子供のときに感じたようではなく、伸び伸びと育つように子供に接してくれると思いますが、子供を持つ行動に不快感を持っています。一人でぐるぐるまわっていたので、今日は参加できて良かったです。

 

@わたしもじゃない会を始めたいと思っています。家族間、対人関係をひっくるめたことをやりたいと思っていますが、「わたしなんか・・」という思いが出て、先に進めずにいました。母の介護のため、東京から毎月、東北の実家を訪ねています。娘が就職氷河期に就職して、押しつぶされていく様子を見るのがつらかったのですが、わたしが変われば娘も変わりました。わたしが「もういいんじゃない?」と言ったとたん、娘が自由になり、カナダで1年間、仕事をすることになりました。不安は日に日になくなり、信頼に変わりました。そういった経験をみなさんと分かち合い、言葉に出して言うことで、その先が見えていくという会をやっていきたいです。

 

@私は19歳で結婚して、20歳で出産しました。二人の息子も巣立ち、いまは孫が生まれています。自分が出産したころは、このようなわかちあいの会もなく、本当に必死で子供たちを育ててきました。子供が泣きやまないのが近所に聞こえると、外出すると、「あの家は折檻(せっかん)しているんじゃないか」と言われるのが聞こえてきて、とても悲しかったこともありました。夫や義理の両親に助けてもらって、子供を育てながら、子供向けの英語の仕事をしてきて、現在は若い先生たちの育成と、奇跡のコースの英語のクラスをしています。これからまた、子供と関わることをやっていきたいと思っています。

 

@ニューヨークで奇跡のコースを学んでいました。今の瞑想をして、心の大掃除ができたように感じます。2週間前に、顔が倍に腫れあがったのをきっかけに、ちょっと立ち止まってみたほうが良いかなと思って参加しました。

@もやもやと思っていることが言語化されるのではと思って参加しました。最近、仕事をはじめて、朝、時間きっちりに家を出て子供を幼稚園に連れて行かなくてはとなっていて、子供と対立しています。娘には「ママは、私のいうことを全然聞いてくれない。私は、ママの言うことばっかり聞いている」と言われるし、私は私で、「娘のためにばかり時間を割いている」と思い、合わせ鏡のようなことを言っているなと思っていました。今日の瞑想中に、自分に柱(グラウンディングのライン)を感じると、娘にも一本の柱を感じて、「あ、あるんだ、娘にも・・」と思ったあとで、娘が、「まっすぐにしてなさいと言われたでしょう?」と言いました。わたしが気がつけば、娘も気づくのですね。自分には自分の柱、家族には家族の柱があることを信じないといけなかったと思いました。

 

(永保子)

家族、特に子供のことは放ってはおけないし、わたしが何とかしなければいけないという気持ちになりがちですが、子供であっても、相手のことは、その方にお任せする気持ちを持つこと、一人ひとりにグラウンディングのラインが降りていることを信頼するということですね。人をどうにかしようとするのではなく、自分の心を観察をして、自分の心に責任を持っていくことが大切だと思います。

 

時間については、忙しい中、‘時間はたっぷりある’ということを思い出す、「じかたぷの会」を開催されているお二人に、お話しいただけますか?

 

*目の前にやることがいっぱいあって、時間がない、自由がない、制限されていると思っていると、間違ったものの見方をしてしまいがちです。それを、「時間はたっぷりあるよ、私たちは自由だよ」というところに立ち戻りたいわけですね。やることが多すぎてできないのではなくて、時間はたっぷりある、という訂正をマントラにしつつ、週に一度、コースの仲間と勉強会をして、忙しさは同じでも、心がとても楽になりました。

 

*週に1回集まって、そこに時間を割くことは大変だというのはあります。でも、自分の心の訂正をする機会を持つことを繰り返していくことで、1年たってそれが日常に落ちてきたのを感じています。やらなきゃいけないことに追われている自分を感じたときに、時間はたっぷりあるんだったというところに戻れると、「いま、ここ」が大事だと素直に思えて安心できます。2年生になるまでにはとか、卒業までにはこういう状況にしたいという目標をたてて頑張ろうということをしていますが、いまここにある状況と、私たちのコミュニケーションを大切にしていくこと、そのプロセスを大事にしたいと、焦らずに思えるようになって良かったです。

 

(美也子)

 

思い出すことですよね。ちょっと心が揺れたときに、あ、時間はたっぷりあるのだったということを思い出し、いちいち心を正す、それの繰り返しですね。朝はたいがいのお母さんは忙しいですから、ちょっと立ち止まって思い出すことができるようにしたいですね。

 

@コースを学んでいますが、子育てに落とし込めないです。幼稚園児とその下に子供がいて、家事や育児が本当に苦手で戦いです。もっと段取りよくと考えたりもしますが、すごく消耗するし、つくづく向いてないと思います。苦手でもやらなければならないと思って苦しいです。自分が得意でやりたいことはたくさんありますが、自由を感じられなくて、すごく制限を感じてしまいます。時間も常にぎりぎりな感じになるし、今日も参加したいと思っていたのに、出ようとするといろいろあって、遅れて、今、来ました。

 

*自分で自由を感じようとしても感じられません。時間は実際にはないし、やることがいっぱいあって、忙しいし、気ぜわしいし。ただ、時間はたっぷりあると感じたいし、受け取りたいという思いが自分にあります。そういうふうに思えるように助けて、ということだけなんですね。

 

(永保子)今、話してくださったとおり、助けてとお願いをするということをされていくといいと思います。自分ではどうにもできないので、聖霊に委ねていくというのは、周りの方にお願いしていくということと同じことですね。自分ひとりでやるということをしないで、周りの人、ご家族やお友達にお願いして一緒にやっていくということです。一番大事なことは、自分の心に正直に、自分が好きなことをやっていく、ということですし、自分の心にだけ責任が持てるということですね。

 

そうすると、一度にいくつものことを平行してやらなければということも出てきますが、グラウンディングのラインをイメージすることで、今、必要なことに心を向けることができるようになって、気もちがあちこちに散らなくなります。今この瞬間にある、ということの助けになり、先のことを考えて焦ることなく、時間はたっぷりあるという安心を感じることになります。朝、急いでいる時こそ自分とお子さんに、それから自転車にもラインを降ろしてみてくださいね。

 

 

@自分が子供を産んだのはベルギーだったので、日本といろいろ勝手が違い、母乳育児以外は完全に否定される状況の中で母乳が出ず、なんとか片言で病院のスタッフとコミュニケーションするも、とにかく誰もわかってくれない、助けてくれないというような状況に感じ、本当に自分が子供を守らなきゃこの子は死んでしまう、なんとかしなくてはと必死で、とても切羽詰まった状態だったことを思い出しました。赤ちゃんが心配で助けを求めているのに、みんな、「赤ちゃんは大丈夫よ」と言われる意味がわからなかったのですが、さきほどの瞑想で、グラウンディングのラインが娘にもちゃんとあるから、わたしが手を放しても大丈夫なんだって、わたしが娘の生き死にを全部を握っていると思っていたことはおこがましかったと、今、わかってきました。

 

@子どものことはどう思ったらいいのか、全くわかりません。自分のことをお願いするときは感覚的にわかりますが、子供のことに関しては、私のやり方が良くなかったんではないかと、自分の責任に感じてしまいます。お願いしても、子供のこととなると、信頼することができません。でも、今お話を聞いていて、私が失敗をしても、子供に取り返しのつかないことが起こるというのは違うのかなと思いました。

 

@わたしが、子供の生死を握っていると思い込んでしまったのですが、とうとうミルクを足さなければということになり、母乳を出せない私は赤ちゃんを殺してしまうのだろうか、わたしのせいで。。と思いました。母乳をあきらめた時に、母親失格だと思って傷つきました。でも、自分が守らなければ命が続かないということはないと思いました。子供の人生には影響はしないと思うし、私の問題なんだなと思いましたし、あなたの存在と私の存在でこういう経験をしたのねということで、母乳は原因ではないと思えました。

 

@幼稚園の子供のことで自己嫌悪に陥ったことがありました。親としてわが子に注意しなければとも思いました。委ねるといっても、相手の子供が泣いているのにどうすればいいの?わが子はちゃんと躾をされていないじゃない・・と。そのさなかでも、お母さん方の本当の姿、光を見るということをずっとしていて、ママ友の関係はとても良かったので、周りのお母さんが「うちは一人っ子だし、人間関係を作っていくことを一緒にやっていきましょうね」とか、「子供はファイトしながら友達関係を作っていくのよね」と言ってくれてほっとしました。わたしが、子供が何かするのではないかと思っているので、見せくれているのだと思いましたし、子供をコントロールしなくてはいけないと思っていたのだとわかりました。この子も、人との関わりの中で、自分に必要なことを学んでいけるんだな、大丈夫なんだな、いちいち行動に目くじらを立てる必要はないんだなと思えるようになり、ひとつひとつの行動にハラハラすることはないんだなと段々思えるようになってきました。

 

(永保子)

子供さんは、お母さんが目の前の人に心を開いてコミュニケーションすることに導いてくれているのですね。お母さんは、子供と、子供に関わる全体への信頼を学んでいるのですね。お母さんが、まわりの人からさし出されている手を信頼して子供を手渡していくと、子供は、自分が自由にどこまでも行けることや、どこででも支えられて守られていくということを経験していきます。信頼するということを、まずは家族の中で、朝の忙しい時にこそ、ひとつひとつ丁寧にやってみるといいですね。

忙しい中での段取りについて、・・さん、何かお話していただけませんか?

 

@わたしも、はじめはあれもこれもしなきゃと思っていましたが、できなかったことはしなくて良かったことだと思っています。それから、私は自分がやりたいことをやっていると思うので、子供は、「お母さんは勉強が好きだね」と言い、私は「君も勉強が好きになったら良かったね」なんて話しています。でも、今日できないことも明日できるかもしれないし、今、目の前で泣いている子供がいれば水を飲ませて、それから、来年でも再来年でもできると思っています。

 

私も海外で出産しましたが、子供は、赤ちゃんのとき、とてもよく泣く子でした。新生児の時にあまりに泣くので、どうにもならなくて放っておいたら、1時間も泣き続けたので根負けして抱き上げると、にっこりと笑いました。わたしなら、「1時間もほっといて、いまさら何よ!」となるでしょうが、子供は、ただ「ありがとう!」という笑顔を見せてくれて、その時、自分のことを母性がないと思っていたけれど、それでも大丈夫、育てられるんだと思いました。今でも、相変わらず母性というものはあまりないと思いますが・・。

 

(永保子)

変わることなく在る愛に触れる経験をされたのですね。今のお話のように、私たちはいいお母さんになる必要はないし、いいお母さんであることを証明する必要もないんですね。・・さんも、お話してくださることがあるのではないですか?

 

@子供は関係なく微笑んでくれますね。30年近く前ですが、幼稚園の先生から、長男だけが、牛乳パックの工作ができなかったと聞いて、その場で泣けてしまって仕方のないことがありました。翌日、先生が長い手紙を書いてくださり、理由は忘れましたが、ホッとしたことを思い出しました。その時、わたしがこの子はこういう子供だと思いこんでいたのを手放して、目の前の子供を受け入れることができて楽になって楽しくなりました。

 

(永保子)

 

今、お話してくださったように、子供を持つということは、子供を受け入れる、命を受け入れるということですね。ただそれだけですね。お母さんが、どんなに「私は十分ではないので、愛される資格はないわ。」と思ったところで、子供は親を愛しているし、愛したいんですね。だから、目の前の子供にただ愛されてみるだけで、お母さんが子供を愛していることもちゃんと伝わっていきます。愛には条件も取引も交換もないんですね。だから、子供が愛してくれることに対して、いいお母さんになることでお返しする必要はないし、世間に認められるために、立派な母であることを、子供を使って証明する必要もありませんね。そういった愛に対する勘違いの思い込みをを手放していくと、気を張って子育てしていたところから、ホッとする心になって、自ずと、子供とも周りとも助けあえる幸せな経験がやってきますね。

 

(美也子)

 

お母さんってほんとうに頑張っているなと思いますし、自分をいたわるということをやっていいと思います。人から言われるのは嫌だし、他のお母さんや、社会の目が気になったりするのはあるかもしれませんが、自分のなかに、私は十分ではないという思いがあるから気になるのですね。先日、私も幼稚園の母子が何組か来ている集まりで、一人の男の子が他の男の子たちをかなり強くたたいている様子をみて、自分の心が揺れるということがありました。何も注意しないお母さんに対して怒りを感じている自分がいたり。そこに暴力だったり、被害者と加害者だったりを実在のものとして見て、震える自分の心があって、たたいている子も、たたかれている子たちもそこにいる一人一人が光であることを見たいと心の訂正をしたのですが、そうやって私たちの心はすぐ怖れを抱くんだというのを思いました。この場でみなさんがわかちあってくださることで、やっぱり真実を見たいと選ぶしかないと改めて思いました。

 

@わたしも、学校で暴力行動をする子供の側を加害者的に見ていたことがあり、周りは、親は何をしているの?となるし、わたしもそう思ってたことがありました。かつて、子供が小さいときに、一日中泣くので、近所から虐待しているのではないかと言われました。気にかけてくれてありがたいなと思えたのが不思議なのですが、子供が泣くのは私のせいだと思って、一時期、外に出るのが恐くなりました。先ほどのお話のように、ホーリースピリットに委ねるというのは、周りの人に頼っていいんだということなので、母親のわたしのせいではないか、わたしの影響ではないかという、自分を責める心を訂正していくのが一番先だと思います。すると、子供たちは変わらなくても、私の見方が、加害者、被害者という見方ではなくなる人が増えていくのではないかと思います。これから全員とのコミュニケーションを一つ一つやっていくのだなという風になっていきました。

 

@お話をうかがっていて、自分がどうありたいのか、っていうのが大事なんだと思いました。お母さんの軸がぶれると、お子さんの軸もぶれるのではないでしょうか。子供たちってお母さんのことが本当に大好き。本当にお母さんがやりたいことをやってみたらいいと思います。それを子供は本当に感じるはずだから。自分の息子が小さかった時、本当にじっとしていない子供で、どこか連れて行ってもいつも好きなように動いている子供でした。でも私は好きなようにやらせて、本当に悪いと思った時だけ言うようにしていました。わたしが楽しんでいる姿を見せていれば、子供はついてくると思いました。

 

(永保子)

 

わたしは、13年間続けて、小さい子供が常にそばにいる経験をしました。その間、○ちゃんのママという以外に、私自身として大人同士で話したいし、社会と関わりたい気持ちは、非常に強いものでした。それで、子どもも一緒に巻き込んで、私自身がほんとうにやりたいことを始めてみました。すると、同じように思っているママたちに出会うようになって、助け合うことができました。最初は短い時間でしたし、やりたいことも様々に変わりましたが、どんなことであろうと、自分の正直な気持ちに触れていると、心が喜びで一杯になって、子供に対しても、「ありがとう」という気持ちだけがあって、思わず言葉にしていました。それを続けていくうちに、自分の憂鬱を、誰かや何かのせいにしないで、誠実に自分の心に向き合っていくプロセスにいると、子供も間違いなく、どんなに幼くても、一瞬一瞬を喜びに向かって強く生きる存在なんだと気づかされる経験があります。

 

子供の躾や教育のことも大切に思いますが、まず最初に、自分の心に正直になって、自分のやりたいことに向き合うと、自然と、子供の躾の機会にも、教育の機会にも出会っていくように感じます。子供は別という考えではなく、子供も一緒に生きていくとなったときに、助けてくれる人や場所や機会が現れてくるし、経験の一つ一つをすべて栄養にして、子供も私も、叱られるべき時には叱ってもらえるので、安心して、自由にのびのびしていられると思います。

 

いま、・・さんが、子育てが辛いとシェアしてくださったというのは、心を開いて「助けて」という声をあげられたということですね。それに対して、ここで暖かくサポートしてくださっている方が大勢いらっしゃることもそうだし、ご主人や、周りの人の助けを借りて、いまここで、子供との関わりも込みで、コミュニケーションを持つことを始められたということではないでしょうか。助けてもらいながら、お母さんの素晴らしさは、全部お子さんに伝えてあげられますし、コミュニケーションは、区別したり差別するところにはなくて、全部包み込んだところにあると思います。だから、焦らないでゆっくりとで大丈夫ですね。

 

(美也子)

 

子供のことは別だと切り離さなくていいってことですよね。子供と一緒にやれるし、一緒にやる方法もあるし。そのようにしたいと思っていれば必ず助けはあるし、子供のことを別にすることで、自分の心をキリキリさせなくても大丈夫ということですね。

 

@自分がでしゃばらずに、ホーリースピリットに助けを求めることをしているのだなと思いました。そしてこういう場で受け取らせていただけるのだなと思いました。これからも、ただ求め、受け取っていくということをしていったらいいのかなと感じています。ますます、ホーリースピリットに対する信頼を感じています。今日のお話しを聞いて、もしいつかお母さんになれた時に、こういう場所があったらすごく心強いし、みんなで一緒に一人で抱えてないで出していって支えあえたら素晴らしいし、こうしてわかちあうことで、愛に囲まれていると感じられたことと、子供はお母さんに愛を届けてくれる存在だというのが、今日一番心に残りました。みなさん、素晴らしいです。

 

(美也子) ○さんも素晴らしい存在ですね。だから「私なんかが・・」という思いは不要だし、永保子さんのお話しにあったように、子供を持つということは子供を受け入れることなので、ただ受け入れるだけでいいし、助けを求めてみんなに一緒に育ててもらっていいということですね。

 

@愛を与えたがっている、注ぎたがっている、使いたがっている自分を感じ出しています。子供のころはそれが当たり前で自然だったと思います。そういう感じが出てきています。母親に対してのジャッジメントと文句が多かったような気がして、親への文句の影に愛が隠れているような感じがしています。

 

(永保子) 誰もが、精一杯なのですね。そのことを受け入れて親をゆるしていくということが必要ですね。そして、もうすでにそのことをなさっていらっしゃいますね。

 

(美也子)

 

やっぱり、私たちは愛なんだなということを思い出しましたね。やはり愛を受け取って与えて分かち合いたいという、ただそれだけですよね。ただ、その間にいろいろな判断や条件でやってきたから、また普段の生活や子育てを使って、一つ一つ取り外していく作業をしている最中だし、これからもしていくんですね。

 

@出がけにリボンを誰が結ぶかということで15分も喧嘩をしているような状況でしたが、心がなぜか落ち着きました。子供たちが、ホワイトボードにハートの絵を書いているのを見て微笑ましく思いました。娘の愛も受け取ればいいんだなと思いました。ママから要求ばかり受けていると言う娘の言葉も、「本当にそうだったね。」と、素直に受け取れました。

 

@夫のほうが家事が上手で、彼に何か言われると、いつもへこんでしまいます。今朝も、私が用事で出かけていたので、夫が作った朝ごはんに子供が大喜びして、「パパがいつも作ってくれるといいね」と。わたしも、得意な人がしてくれたらいいなあと思いますが、それを言葉にすると、自分が傷つきます。自分をゆるすということや、心を訂正するということがまだわかりませんが、それができたら楽になれるだろうなあと思いました。

 

@アメリカ人の専業主婦の友達が、「夫は料理が大好きなので、夕食は全部作ってもらっているのよ。おかげで彼はますます料理が上手くなって喜んでいるのよ。」と楽しそうに話していました。

 

@夫は掃除機をかけるのが好きで、残業で夜中に帰ってきてからでも掃除をしたがります。

 

(永保子) ご主人の喜びを横から奪わないということですね。(笑)

 

@うちの夫は家事は何もできないので、お世話をする私の心の持ち方を学んでいきたいと思います。

 

@自分が感じたことを相手に伝えていくということに、時々自信がなくなることがあるのですが、この場で、あらためて自信を持てました。これをまた違う場所でシェアできる事がうれしいし、自信を持ってシェアできるということが、自分のためにも喜ばしく感謝に思います。

 

@シェアしたいことがありすぎて、また次回にと思っています。自分の思いに勝手にとらわれてしまいがちですが、できないことがあっても、だからこそ時間はたっぷりあるということにも気づけたことがありました。自分の心の訂正は、あせる気持ちや不安や怒りや悲しみなどの居心地の悪い自分から、居心地の良い自分のほうに行きたい、それに気づいたら、あとはホーリースピリットがやってくれるので、繰り返しやっていきたいと思いました。そして、気がついたら、自然と行動や言動につながっていくのだなと確認することができました。

 

@最初の瞑想で、光の球体が一人ひとりを包んでいて、隣り合った人や、会場全体の人をお互いに包んでいるというのが、本当にそのとおりの会であったなということを見れて、ホーリースピリットが全てを優しく包んでくれているのを感じることができて幸せでした。
 

 

(永保子) 今日は、お一人お一人が、精一杯シェアしてくださって感謝しています。シェアしてくださることで、そのことが本当にご自分のものになっていくと思いますし、人の話に耳を傾けることも、心を与えていることになります。与えたものだけが受け取れるものなのですね。今日ここで心に響いたものを大事にして、学校や職場や家庭でも、一歩踏み出してコミュニケーションを持っていけるといいですね。じゃない会は、この場だけではないというのがテーマですので、皆さんがそれぞれの場で、愛のシェアリングを続けていっていただければと思います。どうもありがとうございました。
 

(美也子) 会の終わりに、子供たちがホワイトボードにハートをたくさん書いてくれていました。やっぱり愛しかないよ、って教えてくれていた気がします。愛しかないよね、愛し、愛されたいんだよねということを思い出しました。どうもありがとうございました。

 

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