西小山レポート 渡邊美智恵

1/23/2014

誘導瞑想

Aさん
僕は、子供と接する時間が短いせいもあるかもしれないけど、子供と接していて、何も問題がないんです。冷たい関係とかではなくて、自然体なんです。でも、妻は子供たちと接する時間が長いからか、子供たちの間で、いろんなことがありました。中学2年生の息子がいるのですが、僕も中2の頃から、親に対して反抗したり、態度が悪いことがあったので、その年頃の子供の気持ちがよくわかるんです。それは特に理由はないように思えて、でも何かしら理由があって、本人にしかわからないことで、時間がたてば、忘れてしまうくらいのことなんですね。でも、妻には反抗期がなかったらしく、「息子が反抗する気持ちがわからない。」と言っていました。それで、僕の中学生の頃の話をすると、彼女なりに考えたようで、その後、少し変化がありました。たとえば、息子の返事の仕方や態度が、あまりにも悪いとき、僕は注意したら終わり。そうすると息子自身が考えて、考えた結果を僕に示してくれる。でも以前の妻は、子供に注意して、子供が謝っても、「謝り方がだめ!」と子供に畳み掛けるように言っていたので、そうなると、子供は拳を握りはじめ、その握った拳をどう下げていいのかわからない。注意をして、「よし」とすれば、子供なりに示してくれるのだけど、妻は、その子供の意思表示を「待てない。」と言っていました。「待てないと、同じような結果になってしまうから、同じことが繰り返されるだけ。待てば違ったものが見えるかもね。」と、妻に話して来ました。最近は、その「あるかもね・・。」という、期待をせずに見守るということが、なんとなくわかってきたようです。妻が、すっと引いて、子供も素直になっている。今は、妻と子供の間にも、問題はほとんどなくなって、妻も、自分は何を見たいかということを選択しています。美智恵さんは、中学生の娘さんに対して、どのように実践されていますか?

美智恵
今、お話してくれたように、子供が、振り上げた拳をどこに収めていいのかわからずにいるな・・という場面は、我が家でもよくあります。心の中ではお互いに、もうこんなことはやめたい、謝りたい、と思っているのに、私がそうさせてあげていないんだな・・と感じます。じゃあ、私はどうすればいいのか・・と考えても、こういう時は、私も感情的になっているので、どうすればいいのかわかりません。その時は、まず、この状況を別の見方で見る決心をしますね。決心しても、別の見方で見ることが、すぐにはできなくて、どうしたらいいかわからなくても、ただ、別の見方で見よう・・と思うことで、自分がちょっと落ち着いて、嘆きや悲しみや怒りの感情を脇に置くことができる。この感情は全部、自分で作り上げたものだけど、脇に置いたあとは、言い訳とかそういったものは一切せず、普通に振る舞います。子供の機嫌をうかがうようなこともしませんが、何事もなかったかのように振る舞います。たとえ子供が、まだ拳を握りながら私を見ているように見えても、反応しません。自分のやりたいこと、やるべきこと(心の訂正、相手の中にも神がいることを思い出す。)に専念します。そうするとやっぱり、子供に鍛えてもらっているんだということ、強さを経験させてもらっているんだということを感じます。私も常に、何を見たいか、の選択を実践しています。

Aさん
強さって何でしょうね?

美智恵
「奇跡のコース」のテキストを読んでいて気づいたのが、自分の中の罪悪感、怒り、嘆き、孤独感、欠乏感、そういったものをしっかりと見て、そこから解放されること、やっぱり、許すことなんだと思います。

Bさん
誰も、誰かを傷つけることはできないし、私も傷つかない、それを思い出す。どんな場においても、自分らしくいられることも強さだと思います。誰かの顔色をうかがったり、正直さに欠けていると、弱い自分を見ていることになるし、傷つく、傷つける、という恐れから離れていられたら、それも自分の強さなのかな・・と思えます。そのような自分の強さを思い出せたときに、本当に、こんなにも私って自由なんだな、こんなにも見る景色が違って見える・・という、経験をしたことがあって、その時は嬉しかったし、それが喜びでした。私たちは、繰り返し弱さを見てしまうけど、愛を見たいよね・・という確認を、繰り返ししていくのだな・・と感じます。

Aさん
確認して、大丈夫なんだ・・という繰り返しですね。心の筋トレですね。

Bさん
本当に、子供には鍛えられています。特に長女は、私のいろんな感情を引き出してくれて・・。それはありがたい経験だと思います。日常生活で、子供と、お互いに引けないな・・というやり取りがある中で、それでも子どもに救われることもあります。カチンとくるようなことがあっても、場を変えて、子供に助けてもらうということを、私が素直に受け取れるし、それを経験させてもらっているけど、これが期待にならないようにとも思います。子供たちが、お風呂や、寝る時の布団の中や、二人きりになったときに、普段言わないことを、心を開放していろんなことを話してくれるんです。仕事をしているときも、二人でいると、いろんなことを話してくれるんだけど、そうすると、仕事がはかどらなくなるんですね。でも、こんなに話してくれているのだから、それも受け取っていきたい、でも、目安の時間に仕事を終わらせたいというのもあって、目標設定も見つつ、子供とのコミュニケーションの中で、鍛えてもらっています。

Aさん
僕も、子供に助けられていると感じることが、多々あります。仕事を家には持ち込まないようにしているけど、子供たちは僕のことをよく見ていて、「お父さん、眉間に皺が寄っているよ。」とか、朝の出勤前にタブレットを持ってきて「お父さん、これ面白いから見てみない?」と言って、あるアーティストのプロモーションビデオを見せてくれたりします。「いろいろあるだろうけど、楽しく生きていますか?」というシンプルなメッセージ(歌詞)の中に、いろんなエッセンスがこもっていて、これを忘れていたな・・というのを息子が見せてくれました。そこでも、選択があると思うんですが、たとえば僕が、出勤時間が迫っていて忙しいので、それを見ようとせずに、受け取らなかったら、僕も子供も、チャンスを失うわけ。でも僕はそこで、受け取るというところに心を持って行ったことで、そのたった一曲の動画を見て、「好きで始めた仕事を、楽しんでるというところから離れてしまっているのかなぁ・・」というところを見れて、また楽になったんです。それで、非常にいい機会をもらったなと思いましたね。

美智恵
自分がしっかりと、ちゃんと受け取れたことも嬉しいですよね。余裕がないときにその動画を見たら、そこに込められている相手の思いまでは受け取れなかったかもしれないし、自分の心の中に、何があるかというのを見させてもらっていますよね。

Aさん
僕には、世の中にある歌というのが、全部祈りに聞こえてきたんです。ものすごく愛にあふれている。失恋の歌でもそこには愛があるんですよ。

Bさん
音楽を聴いているときに、風景が浮かんできたり、その時に一緒だった人の思い出が出てくると、感謝が沸いてきたりしますね。つい最近、久しぶりに聴いた曲から、小さいときに田舎に行った時の風景が浮かんできたんです。それから亡くなった父への思いや、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんが、ギフトのように思い出として入ってくる。そうやって、かけがえのないものを受け取れる心にしていきたい。いろんなところにツールがあって、それを使わせてもらって思い出していければいいんだな・・。って。

 

美智恵
今の中学生くらいの子供たちは、部活に塾にと忙しく、両親とも出身地が同じで、田舎がなかったりすると、いつもと違う風景をゆっくり味わうとか、そういう経験がなかなかできないし、させてあげられないですね。実は私たち家族がそういう環境なんですが。

Bさん
私は、母親の田舎に、年に1回行き、その土地の友達が歓迎してくれて、短い期間だけど、みっちり遊んで帰ってくるという経験をさせてもらっていました。そうしたことが、自分の子供にはできてるのか・・と自分を責めるのは違うことだけど、子供は子供で違う経験をしているはずだし、私がしてきた忘れられない経験や思い出ってありがたいな・・と思います。

美智恵
形に残るものではなく、自分の心の中に大切にしまっておいた物は永遠に取り出せるということですね。
今日は、ご都合で、じゃない会に参加できないCさんから、「家族に尽くしているつもりですが、疲れてしまう。与えきれないんです。」というご相談のメールをいただいたのですが、持っているものを全て与えたいのに、疲れてしまって与えきれない、ということはありますか?

Bさん
尽くしていると思った時点で、確かに、疲れるよね・・って思います。何かしてあげている、この人のために尽くしている、私はやってあげている・・と思った時点で、訂正しなければなりませんね。それは与えていることにはならなくて、目の前に居る人とセパレートして、相手を弱いものとして見ている。尽くさなきゃと思っているとしたら、そこを訂正して、私たちは一つだということを、受け取らせてください、ということだと思いますね。

Aさん
愛の目線で見るか、恐れで見るか、ということだと思うんです。尽くすということの中には、尽くさないと、私はどう思われるのか・・という恐れもあるのではないかな。愛の目線の中で、自分はどうありたいかというところだけを見てやっていれば、尽くすという行動で疲れることはないし、見返りも期待しないし、ということだと思います。たとえば、母親としての立場から行動していると、疲れるというところに、陥りやすいんじゃないかな。私はこんなにやっているのに・・とかね。

Bさん
だとすると、自分はこれだけやっているんだ・・という怒りを手放したい、居心地の悪さを取り除きたい、居心地の悪さを感じた時に居心地のいい方、安心な気持ちでいられますようにとお願いして、自分が受け取りやすいように、怒っている自分をちゃんと認めてあげるといいですよね。もしかしたら、私たちは、実は何に対して怒っているのかわからないのかもしれない・・。本当は目の前の人に怒っているわけではないけど、なぜだかすごくイライラして目の前の人に当たるとすると、それは、目の前にいる人が、自分の中にある怒りを見せてくれているということですよね。でもCさんは、ご家族と真剣に向き合っているということを、すごく感じますよ。

美智恵
家族に尽くしたい、という気持ちがあるだけで、十分に尽くしているんだとも、思うんです。洗濯したり食事を作ったり掃除をしたりと、体を使って、相手の体のために尽くしているときは、「まだまだ足りない」と、次から次へと材料を探し、「でも、私の力には限界がある」と、エゴが伝えてきて、身も心も疲れてしまいますよね。だから、今、自分が家族に対して与えることができるものだけを、自分にできることだけをしていればいいんだと思うんです。体で尽くすとなると、Bさんがさっき言ってくれたように、私たちは皆、対等な神の子で完璧な存在であるという、その源から離れてしまいますね。だから、家族に心を尽くして、コミュニケーションを取ることでいいのだと思うのですが、Bさんはどうですか?

Bさん
尽くすというのは、相手を弱いものとして見てたり、相手に、こうであって欲しい・・というものを見たり、結局自分が苦しくなって、自由じゃない感じがするんです。相手の自由の無さを見ているようで、自分の自由のなさを見ていることって、すごく悲しいことだと思うんですね。本当に相手を信頼するということを経験していくということ。そこを一緒に経験できますようにと願うこと。心を尽くすということは、そういうことかな・・と思います。

Aさん
そうですよね。自分の心が自由だったら、尽くすという文字も消えちゃうし、疲れるということもないですよね。僕は、仕事場のスタッフとの間での信頼が、なかなか難しい。関係はすごくいいのだけど、仕事を任せても、スタッフがする失敗を見てしまうと、安心して任せられなくなる。トラブルを恐れてしまうんですよね。彼に僕の何かが投影されている気がします。彼は気が小さいところがあって、僕が怒っているとわかると固まってしまう。でも彼は僕を慕ってくれていてすごく愛情表現をしてくれるんで、僕はそれに応えていって、いい感じになってきたなぁ・・と思うと、また彼が失敗をする。だから、彼も子供と同じなのに、「仕事」という何かに邪魔されてしまって・・ということがあるんですよね。

美智恵
仕事だから失敗は許されない・・という思いが、彼に失敗をさせるという投影をしているのかしら。いっぱい失敗をしてもいいから、彼に経験を積んでもらったらいいんじゃないですか?

Aさん
そう、それしかないし、それでも大丈夫なんだろうけど・・。彼には僕も鍛えられています。

Bさん
スタッフでも子供でも、育むということには変わりないから、育むということを、私たちはどんな場においても経験していますね。失敗から学ぶこともあるし、相手にかける言葉で、相手のやる気も変わってくるわけで、相手は全部受け取ってくれてるし、私に、遠慮なく勉強をさせてくれているんだなと思う。本当に困ったら、助けて・・と言っていけばいいんじゃないかしら。

美智恵
失敗しても、引きずらない。反省するよりも、自分は今何がしたいか、この人と何を経験して、何をわかち合いたいかを見ていくことですよね。お互いを許していく。自分を明け渡して、解放するだけで癒されますよね。

Aさん
親子関係はもちろん、仕事でも、すべての状況で心の壁を外す、それができたらいいですね。

Bさん
私も、お客様に自分をオープンにさらけ出すというのを心がけて、オープンでいることで感じる、風通しのよさをいつも受け取っていきたいと思います。
ありがとうございました。

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