CRSレポート⑥

8/19/2015


CRSクラスレポート 小野永保子、坂本悦子 (6-1)

 

Aさん   

瞑想の最中に「ママ大丈夫だよ」という感じが自然に浮かんできて、子供は、楽しくやっているんだなと思いました。最近、妄想かもしれないけれど、瞑想の中で子供と会話をしていて、自分の気持ちが落ち着くのを体験しています。

永保子   

瞑想の中でのお子さんとの会話というのは妄想ではないんですね。たとえば生まれたての赤ちゃんに、「おむつを変えて」と言われているような気がするのは、言葉で聞こえるというよりは、感じるものですよね。テレパシーと言ってもいいと思います。そういったコミュニケーションを、これからもぜひ、使ってみてくださいね。会話が少なかったとしても、心が通っている感覚があるととても助けられますよね。

Bさん   

5歳の上の子は、今おしゃべりがすごくて、この前のお休みの時は、声が大きいしうるさいから黙っていてと思うくらい、イライラしました。

Aさん   

うちの子は無口なので、しゃべってくれるだけで羨ましいです。自分が話したいときは話すけれど、コミュニケーションが上手ではないので・・。

永保子   

コミュニケーションには、言葉やお茶を飲んだりなどの行動も使いますが、本当は形ではないんですね。だから、本当のコミュニケーションに、多かったり少なかったりする事もないんです。コミュニケーションは、途絶えることはないのに、私たちが勝手に、意思の疎通が取れないとか、価値観が違うとか、言葉が多い少ないと決め付けて、閉ざしているだけなんですね。心を開いて、どんな状況でもどんな人とでもコミュニケーションがあるいうのを経験するのが、奇跡の子育てに繋がっていきます。今日はその奇跡の経験とは?真のコミュニケーションとは?ということに繋げてお話ししていきたいと思います。

悦子   

それでは、数ヶ月ぶりに参加して頂いたAさんから、お話をシェアして頂けますか?

Aさん  

 先日、私の友達の誕生日会があり、7歳の息子を連れて、二人で参加しました。そこで、7ヶ月のお子さんがいる男性と話しているうちに、遺伝子の研究をしている科学者の夫のことで、討論になってしまったのです。私は、サスティナビリティ(持続可能な社会)とか子供の食育について取り組んでいるのですが、それなのに、どうして夫のようにGMO(遺伝子組み換え食品)を作り出している人と一緒にいるのか理解できないということから始まって、GMOがいかに悪いかということと、「あなたの旦那さんはGMOを作るのに加担しているのですよ。旦那さんは悪の手下だ。」とまで言われ、最後には陰謀論にまでなり、とてもショックで、混乱してまったのです。さらに、夫は口下手で、あまり仕事の話をしないのですが、夫が会社の話をしないのは、言えない事情があると言うのです。心が乱れて、そこで私自身何を始めたかというと、夫の会社や彼らを守るような事を始めたのです。私が、心の中でパニックを起こしていたら、別のお母さんがやってきて、うちの息子がコントロール出来ないから、どうにかしてくれないかと。息子は、4歳年下の子と喧嘩していたのです。私が他の人と口論中に同時に起こって、これは自分の中の心の何かが出てきていて、とにかくその場を逃げたいという気持ちがすごく働いて、息子を怒って、車を呼んで逃げるように帰ってきました。その夜は、言われた言葉が次から次に出てきて、二人の鬼に、「どうなってるのよ、あなた」といわれているような感じがして、悶々として寝れませんでした。あとで、思ったのが、私って皆にきっちり受け入れられたいということで、でもそれはたぶん無理で、いろいろな個性がある限り、万人に受け入れられるというのはありえないのに、そういうことを望んでいたんだという発見もあったのですね。でもやっぱり批判されるとすごく傷つくし、息子がもう少し大きくなったとき、そういう人が友達のサークルの中いるというのは、母親としてどう捉えていったらいいのかと・・。

永保子   

周りの人の言葉には、良いものや、そうでないものというのはなくて、どれも意見のひとつだということと、意見に反応して葛藤するなら、こちらに、自分は足りない、自分は駄目だっていう思いがあるので、それを受け入れてみることをしていきます。今回のように、象徴になる出来事が目の前に現れたなら、ご自分のこだわりを手放せる機会として、今話してくださったように、全員にわかってもらいたいという気持ちを手放していけるといいですね。

Aさん   

そうですね、嫌われるかもしれないと、すごく怖がっていた自分にビックリというか。みんなに受け入れられたい、それが可能だと自分は思っていたんだと。

永保子   

私たちは、とかく、行動や意見が受け入れられることがコミュニケーションとして大事なことだと勘違いしているけれど、本当に繋がっているのは、 Aさんの心と相手の心だけですよね。それを思い出したいから、見ているドラマから抜けられるよう、助けてくださいとお願いしたいですね。

悦子   

そうですね、相手は悪気があって言ったことじゃなくても、自分でひっかかってしまう。そのひっかかるという事は、自分の中にこだわりを持っているのですね。

Aさん   

そうですね、最初は自分が受け入れられなかった苦しみが先に来たのですが、そのうち、純粋に遺伝子の研究をしている、こんなに素晴らしい夫を、なぜけなすのか、という気持ちが出てきて、夫を守るという気持ちが出てきました。でも、今話を聞いていたら、別に私が守らなくても大丈夫なんだと。たぶん、私が子供と夫を信じていなかったところがあったのかと。子供にも夫にも同じように、可哀想だと思いました。そんなことしていないのに悪く言われて・・。

永保子   それは、ご主人やお子さんに対して一生懸命やっているご自分のプライドが傷つけられたことが嫌なのじゃないかな・・?それと、ご主人やお子さんを信じるというのは、どういうことでしょうね?

Aさん   息子に関しては、今まで色々やってきたので、自分がやってきたことが否定されたような気分になりました。私が言った叱り方だと、足りないというか、彼女には気に食わなかったというか。そういうのが苦手な子だから、許してって私が言っているのが言い訳に聞こえたのかもしれない。でも自分が3歳の子供がいたとして、7歳の子供にやられて泣いていたら、何とかしてよと思うと思うから。

永保子   

7ヶ月の赤ちゃんのお父さんも、3歳のお子さんのママも、Aさんに助けてと言ってきているのね。助けて、安心させてって。だからそこで揺るがないで、いいわよ、助けるわよという気持ちでいると、冷静に対処出来るし、何を言われても、個人攻撃には聞こえないのよね。

悦子   

その時、自分がかわいそうとなって、こっちからもあっちからもきて、自分へのプロテクションが先にきてしまうと、他の人からは言い訳にしか聞こえない、そういうつもりで言ったことじゃなくても。でもそういうことを相手は求めていた訳じゃないということですね。

永保子   

それから、パーティーに行く時の気持ちがどうだったかというのを見てみるといいですね。お誘いを受けたので、ちょっと億劫だけど、行かなくちゃという気持ちで行ったのか・・。

Aさん   そうですね、それはありますね。夫のサプライズでパーティーをしてくれた友人たちがいたので、お返しをしたいという気持ちもあって、そのうちの一人が誕生日だし・・。本当は、夫も出張中で、自分も疲れていたし、夜だし、欠席したい気持もあったのですが・・。

永保子   感謝やお祝いの気持ちを表現するのに、自分の体を使わなくちゃいけないと思うと、疲れているのに無理をしたり、その場にいないことに罪悪感を持ってしまいますよね。何かしてもらったから、お返ししなくてはとなると、足りないものどうしのやり取りになってしまって、心は満たされないですよね。

Aさん   多分、向こうはそんなこと期待はしていなかったと思うのですが、勝手に私がそういう風に思っていただけだと思います。

永保子  

最初に自分自身に優しく親切でありたいですよね。お母さんが、お付き合いも大事だからやらないと、という風な窮屈な気持ちがあると、子供に対しても「いい子でいてね、頼むわよ! 」となりがちだし、そうすると、子供もお母さんの気持ちを見せてくれるようなことをしますね。

悦子   

不思議ですね、本当に。気持ちって伝染していって、その緊張とか子供も敏感に受け止めてしまうのですね。

Aさん   

本当に久しぶりの地獄絵みたいでした。怒ったあと、息子はしゅんとしているのに、「僕は悪くなーーい!!」と言い張るし、私は「いや悪いでしょう!!」と・・。息子を引きずって、車に押し込み・・。もうこういうことは卒業したと思っていたので、あらためて降りかかってきて、まだこんなことに動揺しなくてはいけないというのにも驚いています。

永保子   ひとつは、子供を大人の都合に合う良い子に育てるのを目標にしないことですね。もうひとつは、こういったことがあったからといって、Aさんや息子さんやご主人の価値が下がるとか、疎外されることはないと、わかっていたいですね。そうすると、三歳のお子さんのママのことを助けてあげることもできると思うのね。・・というところまで、私たちは、心を持って行きたいですね。

悦子   そう、その場で落ちついて、お子さんと話せたり、3歳の子にも聞いてみることが出来たらいいですよね。

Aさん   どうしても、ああいうパブリックな場所にいて、他のお母さん、お父さんの目があると、やっぱり世間で言われる常識にとりあえず合わせておきたいという心がむくむくと現れてくるので、「お兄ちゃんなんだから、貸してあげなさい。」って取り上げてしまうというのが、簡単なように感じるのですね。でも、やっぱり一歩下がると違ったんじゃないかと思うのです。でも、公の場に行くと、すぐそうなります。

永保子   

練習ですよね。Cさんはどう? お母さんとお子さんたちのグループを作っているでしょう?そうしたお子さんたちのゴタゴタに、ママたちはどう対処しているのかしら?

Cさん   

私は、自分の子を優先するようには心がけていますが、やっぱり他の目も気になるから、おもちゃの件であれば、やめて貸しなさいという時もあります。一番には自分の子供を考えて、おもちゃを渡すような時でも納得させてから出来るようにと心がけてはいます。でも結構ほっといても上手く子供たちでやっているような気がします。子供たちは、自分のタイミングでやらないと、ギャーってなりますよね。

Bさん   そうですね、最初嫌だっていっていても、ほっといて暫くすると貸していたり。子供も自分のタイミングというのがあると思います。話を聞いていて、3歳のお子さんは泣いていなかったのだし、そんな困ってもないし、たいしたことじゃなかったのでは。たぶんそのお母さんの方がイライラしていたとか。

永保子   

3歳のお子さんも、お兄ちゃんに貸して待っている経験をして、こころが育つんだけどね・・。

Bさん   

自分の子供が我慢しているのが耐えられなかったのですね。

悦子   

そうですね、お子さんがステップアップする機会なのだけどね。お母さんがそれをどう見ていくか。

Aさん   

普段から自分の息子がお兄さんらしい態度や配慮をしないので、やはり彼女がそれに対してどう思っているかが気にはなっていたのですね。私自身に対しても、「なぜお兄ちゃんらしくなってくれないのと息子にいわないの。」と思っているのではないかと・・。

永保子   

Aさん自身がドラマを作っていたのですね、お子さんを見るのではなくて、他のお母さんから、お子さんがどう思われるかを気にしながら子育てしていたら、辛くなりますね。人や自分自身を傷つけるようなことは、人前だろうと叱ろうと思いますが、息子さんの個性とか表現を周りの人がどう見ようと、本当の息子さんが孤独になることはないし、私のプライドや、子育ての評価には何の価値もないという覚悟をゆっくりと育てていきたいですね。

Aさん   

どうしても自分がやりたいことが一番というのが先の子なので、だから日本人のお母さんがいるようなところだと目をつけられるというか。そういう風に自分が感じてしまいます。そこの家族は前から交流があって、どうしてもお兄ちゃんだから年下の子供にやさしくしてほしいという希望があるみたいで、その希望に添えなくてすみませんという気持ちもあって、そういうことが出来ない子だからと言ったのですが、彼女には言い訳に聞こえたのだと思います。

永保子   

今回は、お互いに助け合えなかったかもしれないけれど、でも私たちの子供は誰もどこも傷ついていないし、価値も下がっていないし、嫌われてもいない、疎外もされていないし、大丈夫なんだというところに、ちゃんともう一回戻りましょう。そして、子育てのお付き合いをもっと上手くやろうと思のは、無駄ですよね。自分の心を逆転させて、幸せでないとね。どんな場所に行っても、Aさん自身が喜びを分かち合っているかどうか。本当にそこでくつろいで楽しいかどうか。そういう心を増やしていくことだけをしていきたいですね。

悦子   

その日本人コミュニティーに拘ってしまったり、自分の居場所だとしがみついてしまうといけないと思いますね。そこに、やはり特別性とか区別を持たない、人種間でもそうだけど・・。自分のいるべき場所は絶対あるし、そこは侵されない。本当に愛だけでいようとするとそうした場所にいることができます。

永保子   

パーティーに参加すると決めたら、そこに光が降りて広がっているのだけを見たいんですってお願いしていくといいですね。そうすると、誰かが、食べ物が怖いよって言ってきたら、大丈夫よっていう心で聞けるし、あとで「ごめんね、取り乱しちゃったよ」って言って来られるかもしれないし、それはもうおまかせですけどね。まずは自分がどうありたいか。自分は本当に幸せでいていいし、くつろいでいいのだから・・。息子さんが好きなことを通しちゃうというけど、Aさんももっともっと、幸せであることを受け入れて、自分に許してあげられるといいですね。幸せだけど、だいたいのところで辞めて、やっぱり、付き合わなきゃとやっているのかもしれない。息子さんは、お母さんが丸ごと幸せであれるよう、手を取ってくれているのよね。それに、Aさんと息子さんが心から幸せであれば、それを感じた他のお母さんたちが、ああやって幸せに生きれるんだ、気を使わずに人と助け合えるし、あんなコミュニティーを持てるんだってことになるんじゃないかな?

Aさん   

そういうグループだと今も思っているのですが、今回のようなことが起こったこと自体が、今となっては映画を観ているような、本当に起こったのかなってかなりショックです。信頼していると思っていた場所でそれが起こったので、それが全然違う場所だったら、自分の気持ちはもっと違っていたのかなと。

永保子   

自分の心の中を見ていくにつれて、それまでのコンフォートゾーンから出るようになっているんですね。でも、それが恐かったりするんですね。私たちは、自分で安心できる場を作れば、自分を守れると勘違いしているのね。そういった限界も、グラウンディングのラインに落としていくといいですよ。

悦子   

どこ行ってもどんな場所でもコンフォートで楽しいということですね。自分がちゃんとグラウンディングしていけば、そういう場所がいつのまにか増えたりするということですね。

 

2015年 1月

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