西小山レポート③

西小山 レポート  渡邊美智恵

Aさん

このような会に参加させていただいてから、自分を見つめる機会が増えました。

保育園に通っている息子との時間を少しでも多く取りたくて、仕事が終わったあとは、なるべく早く迎えに行きます。息子と会うととても嬉しくて、保育園の先生方にも、いつも感謝しています。でも、息子を早く迎えに行っても、息子は全力でガガガーっと、全てを出すので、100%受け止められないことがあります。ただ、4歳近くなって、言葉がわかるようになってきたので、「お母さんも助けてほしいの。」とお願いすると理解してくれたり、怒ってしまったときにも、お互いに謝れるようになりました。私は、怒ったことで自分を責めて悪循環になっていたけど、自分を責めるためにエネルギーを使うことをやめました。人前で怒ることは、みっともない、よくないことだと思っていて、諭すように何度も何度も言い聞かせ、絶対に感情を露わにしないのが、私の理想のお母さん像だったんですけど、人前でも怒ってしまってもいいと、自分を許すことにしました。それで保育園で怒っていたら、周りのお母さんが関わってくれるようになり、そのお母さん方もいろんな打ち明け話をしてくれるようにもなりました。自分をさらけだすと相手も安心するのかしら・・。「怒っている親は自分だけだ」というふうに、みんな思っているのかなぁ・・と思ったりします。

それでも、「そんなに言わなくてもいいんじゃない?」と自分で思うくらい、息子に言い過ぎる時があって、「私たちの子どもなのに、私は子どもに言い過ぎたりするところあるよね。ごめんね。」と主人に話しました。主人は、「そんな気持ちになっちゃうことはあるよ。俺もなることあるし。いいんじゃないの?」と言ってくれますが、言い過ぎが止まらないことがあります。

美智恵

人前で叱ったり、怒ることができること、「これでいいの」と毅然としていられるAさんを周りで見ている人が、解放されて救われているんですね。

怒りを持っている自分が嫌で、自分を責めたり、その罪悪感で私たちは苦しみます。怒っているときは、言い過ぎたり、言葉が強くなったり、荒くなったりするけど、お子さんと、心と心の体当たりで、ぶつかり合って、信頼を築いているのがいいですね。

Aさんは、母と子という関係だけではなく、怒りすぎたり、言い過ぎたりすれば、ちゃんと謝って、小さな子どもにも敬意を払っていらっしゃるのが素晴らしいと思います。

ご主人とのコミュニケーションも、とても正直で、そこから、お子さんもそのコミュニケーションを学んでいるのではないでしょうか。

Aさん

そうですね。「わかってよ!!どうしてわかってくれないの!!」というのを全身で伝えてくるんですが、息子のほうも、私のことを、母というより、いろんな事がありながら学んでいる、対等な同志だと思っているんだろうなと思います。

でも私は息子の不足ばかりを見ているなと思います。年齢的にまだ仕方ないのかもしれないけど、おもちゃを貸すことができないことがあります。お友達から貸してもらって嬉しいという経験を重ねれば、貸せるようになるかな・・と思うのですが、家にお友達を招いて遊ばせていると、なかなか自分のおもちゃを貸せず、力で取り返そうとしたりする場面があるので、一時期、友達に遊びに来てもらうのが、私のストレスになっていることもありました。でも、これは自分の心次第なんだ・・と思った時に、息子を信頼して見守ろうと決めてから、おもちゃを貸している場面も見られるようになってきて、やっぱり私が、見たいものを、ちゃんと見ようとしていなかったんだ・・と思いました。今までは、「女の子に手を出したりしたら大変!!」という思いもあって、すぐに仲裁に入っていました。女の子のお母さんが、「うちも兄弟がいないから、多少のケンカはやらせておこう。」と寛大なことを言ってくれるのですが、それでもケガをさせてしまったら・・と気になってしまうのですが、信頼しながら様子を見ていると、「じゃあ、これなら貸してあげる。」と子供たち同士で折り合いをつけながら遊んでいたので、どんなに小さくたって、信頼しているとちゃんと見せてくれるんだなぁ・・と思いました。

美智恵

見たい奇跡がありながら、その奇跡の手前に起こる出来事を怖がって、自分の悪い想像をふくらませて、奇跡を見る前に仲裁に入ったり、自分で何とかしてしまったり、ということを私たちは本当によくやりますよね。

この子はまだ何も出来ないと思って、手出しをしてしまうから、何も出来ない子どもしか見ることができない。「この子はこうだから。」という決めつけのレッテルを私たちは貼っているだけなんですよね。その自分の決めつけを剥がしている最中ですね。

Aさん

はい。日々そうです。

Bさん

中学生の次女が、帰宅が遅くなったり、少しメイクアップをしたりすることがあって、難しい年頃になってきました。私対次女という間では、生意気だったりもするけど、どうという事もなく大概のことは終わります。でもそこに、他の家族、旦那や長女が加わると、面倒なことになりそうな気がして、うまく収めようとしたり、守ろうとしたりしてしまう私がいます。例えば、メイクアップをする娘に、「そんなことしなくてもいいんじゃないの?」と言うと、私にはストレートに、「うるさい。みんな、やってるよ。」と次女は返してくるのですが、父親には言い返せないんです。でも父親を鬱陶しく思っていることが、態度や顔に出ています。主人は、ついこの間まで小学生だった子が、成長して、ちょっと難しくなってきたことに、淋しさとか、いろいろな思いを重ねている感じがします。そして、私にも、「母親として、なんとか言えないの?」と言ってきます。私は、「注意はするけど、あの子は皆がやっていることを、やりたいだけなんだよ。」と主人に話しますが、主人は納得いかない様子なので、これ以上、次女に余計なことを言わないでほしいな・・と思ってしまったり、帰宅が遅い次女に、私が叱っても効き目がないときに、「お父さんに言いつけちゃおうかな。」と言ったりすると、長女が、「そんな余計なことを言わずに、すぐにお父さんに話せばいい。」と言います。もっともなのですが、内心は、私と次女の間だけで済ませようと思っていたことが、長女が入ることで穏便に済まなくなるような気がしたりして、ここはうまく収めようと、守ってしまう自分がいます。

それから、先日、イスラム国で起きた人質事件のニュースを観ていたら、次女から、学校の友達で、処刑のシーンを観た子がいると聞きました。その子たちは、どんな気持ちでそのシーンを観たのだろうかと尋ねると、「別に・・。ただ観てるだけだよ。」という答えでした。観ているだけ、という娘に対して、私は、ざわつきを感じていました。それを察知した娘は、私に説教されると思って、鬱陶しさを露わにしたので、今何かを説いても仕様がないのかな・・と思っていたら、ワークブック(奇跡講座・内なる安らぎを見出すためのレッスン)のレッスンの中に、「あなたの聖性が世界の救いです。説教するのでもなく、何かを言い聞かせるのでもなく、ただ単に、あなたの聖性の中で、全てのものは自分と共に神聖なものに清められている、とあなた自身が静かに認めることによって、あなたの世界は一つであることを知る。」というのがあって、このレッスンに救われました。

美智恵

自分のところだけで、うまく収めようとしてしまうと、家族のコミュニケーションの流れ、エネルギーの流れがそこで止まってしまいますね。

家族が争うのを見たくない、自分の平和な気持ちを保ちたいという気持ちから、守ろうとするのかもしれないけど、どんな状況の中でいても、自分の中に平和を感じるようにならなければ、いつまでも、守りに入ってしまいます。どのような状況の時も、自分の中の平和を周囲に見せていくことが、一番の解決策です。

Aさん

私も、どちらかというと、「穏便に・・」と、今まで来てたし、それがいいことだと思ってたし、それが皆の為だと思っていました。でも、結局うまくいかないのは、何故だろう・・と、自分は犠牲者みたいに思っていたこともありましたが、本当にシンプルなことですね。ただ自分に戻る。自分の中の平和に戻るということは。

私もイスラム国のニュースには、結構揺れました。自分の恐れと言うのをすごく見ました。

殺害される彼は今、どんな気持ちでいるのかとか、ありとあらゆることを想像して、どうしようもなくなってしまいました。そのとき、私はこの人を犠牲者として見ているなと思って、「この人の中のキリストを見せてください。」と願っていたら、恨みも何もないように見えてきて、キリストが磔になったときと同じというか、兄弟たちはイエスが犠牲になっているという気持ちはなかったし、復活を信じて、肉体だと思っていなかったから、人質になった彼らもそうなのだと思ったら、だいぶ、ほぐれてきました。私が見たいものはなんだっけ?と思った時に、守ってくれるものがある、そうなんだ・・って思えるようになった。

犠牲者として見るのではなく、どれだけのことを、愛を持ってやったかということとして、私はあなたを覚えています。というふうにしたいと思いました。

美智恵

残酷な残虐な事件は、いろいろなところで、過去にも起きています。でも、本当は、あれもこれも起きていない。私の中だけで、被害者、犠牲者を作っているのです。その怒りや悲しみ、恐怖という感情が恐れを増やして、また新たな犠牲者を生み出してしまいます。私たちの心に力があるので、Aさんのおっしゃるように、「私の見たいものは何だっけ?」と問いかけて、そこに愛を見ることを選びたいですよね。そうすることで、救われることがたくさんあります。

Aさん

そうですね。

いつも穏やかな主人が、今回の事件を受けて、日本の首相の対応に対して、すごく批判していて、情熱があるというか、表情が変わるんです。私は、「批判しても何もならない。何より、お父さんが穏やかじゃないじゃない。」と話します。そうなると、私がこの世を生きていることに、とても無関心なんじゃないかというふうに、主人は私を見るんです。「今、本当にすることは、誰かを批判することではなくて、皆がいっぺんに、ゆるしをおこなった瞬間に、終わるんだから、大事なのは、ゆるしなのよ。」ということを淡々と話したんですが、どう伝えたらいいのか考えてしまいます。私が学びたいのは、私の心の平和です。だから、主人が穏やかな状況じゃないときにも、私は平和でいていい、ということを、主人が見せてくれているんだと思っています。でも、主人が、少しでもそういう顔でいる時間が短くなればいいなと思います。主人は、「テロリストたちの家族も残虐に殺害されていたりするんだ。」と、テロリストたちを単なる殺人者ではなく、立場を変えて見る、ということができる人なので、彼こそ一歩進んでゆるしができたらいいな・・・と私は思うんです。

美智恵

この事件に関して、批判したくなる気持ちは、わからなくもないです。ただ、Aさんがおっしゃるように、穏やかな気持ちがなくなり、憎しみを持つようになるのは避けたいですよね。Aさんがご主人のお話を聞いて、ゆるしを勧めることは、真実を伝えていることになって、とても素晴らしいと思います。究極的には、犯罪は存在しないということを知って、私も穏やかさを保っていきたいです。

Aさん

いつも主人に対して、答えてあげれていない、伝わっていない、それは私がちゃんと学べていない、コースの学び方が足りない、と思っていました。コースを信頼していれば恐れないのに、信じることができてない自分がいると思っていました。

真実はこっちだよね・・って、自分がそのように生きていればいいんですね。

主人が、私のことを「無関心」と見ているときに、焼き芋屋さんが来たので買いに行きました。お芋屋さんに、どのくらいの値段の芋がいいかを聞かれたので、「お金のことはいいので、一番、美味しいのをください。」と言って部屋に帰ったら、主人が、「一番美味しいのをください。と言っている、そういうのが一番いいね。」っていってくれて、うまく言葉にはできなくても、わたしがやっていることは伝わっているのかな、と思ったことがありました。

Bさん

わたしたちは、伝えたいという思いで、真っ直ぐな愛だけを伝えているつもりが、いつの間にかエゴにいくことがありますね。だから、自分の静けさとともにあるという、これだけを知っていれば、自分を開化させることができるんだと思います。自分を開花することだけが、周りの人に貢献することになる。本当にそうだな・・と思いました。

焼き芋屋さんのおじさんが癒されたんじゃないでしょうか。

美智恵

ご主人もAさんの中の、豊かさという愛を見たんでしょうね。

ありがとうございました。

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