西小山レポート④

西小山レポート 渡邊美智恵

Aさん リハビリ病院で看護師をしています。脳疾患で麻痺のある患者さんや、骨折などのケガをしている患者さんが、一病棟に60名いらっしゃいます。そのほか、看護師、ケアワーカー、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士など、患者さんの人数だけ、たくさんのスタッフがいるので、それぞれの思いがいろいろあって、なかなか、うまく意思の疎通がいかないところがあります。一つの事を、同じように皆に言ったとしても、同じようには伝わらないのだな、と思います。 1対1だと、トラブルはそんなに起こりはしないけど、何人か人が関わってくると、何かしら起こる。こっちの人はこう言った、こっちの人はああ言った、と、自分はそんなふうに言ったつもりはないのに、違うふうに受け取られて、違う方向に行ってしまうことがあります。だからと言って、一人一人がどういうふうに思っているのか・・と、そこまではなかなか見られないから大変さを感じます。

美智恵 みんな思っていることも、やりたいことも違いますからね。そんなときは、どのようにしているのですか?

Aさん 一個、一個、「違うよ。」と伝えていくしかないと思っています。「違うなぁ・・。」と思って、「それ違うよ。」と怒っちゃうと、にべもないので。怒って言うことをきかせるスタッフもいますが、私は、そのやり方はどうかな・・と思っています。それだと、患者さんが、「言われたからやる・・」といった感じで、「なんで、それをやらなきゃいけないのか・・」というところまでは伝わらない。「こういう理由で、やるんだよ。」という意味まで、私は、伝えるようにはしているのですが、なかなか全員には伝えられないです。 特に昼の勤務では、いろんな人がいろんなことを言ってくるので、「これはこうだよ。」とすぐ答えてしまいますが、本当は、本人に、どうしたらいいのかを考えてもらったほうがいいのかなぁ・・、とも思ったりします。 患者さんが困った時に、「じゃあ、どうしよう・・」と自分で考えずに、とにかく看護師に言えばいいや・・と何も考えなくなっちゃうから・・。あちこちで呼び止められて、なかなか仕事が進まないということもあります。 患者さんの受け持ちは、スタッフ皆と平等なのに、自分だけ仕事が終わらないのは、そのせいかなぁ・・。皆と同じようにやりたいのに、終わらないというのがいやだなぁ・・と思うこともあります。

Bさん 「考えてもらったほうがよかったかな・・」と思うときもあれば、答えてあげることが必要なときもあるかもしれないし、「うん、うん、」と聞いていることでオッケーなのかもしれない。だから、こうしたほうがいいかな・・とAさんが、あまり思わずに、AさんがAさんらしく、オープンでいれば、皆さんへの伝わり方や仕事の流れが変わっていくのかもしれないし、こうしなきゃと思わなくてもいいのかなと思います。患者さんのみならず、スタッフとのコミュニケーションも行き届いていると、また全体的なものが変わってくるのかな・・とも思うし。患者さんと、とても大切に向き合うということは、子育てと何も変わらず一緒だなと思いました。一つ一つが経験ですね。

美智恵 なぜ、それをやらなきゃいけないのか・・という動機は大事ですよね。回復して自立するためにも、ご本人に考えてもらうということは、大きな支援だと思います。目の前に居る相手が子供であれ、大人であれ、病があってもなくても、私たちの本質は変わらない、というところを見て、コミュニケーションをしていれば、支え方も、Aさんの負担も変わってくるでしょうね。60人、一人一人との時間をかけたコミュニケーションは、大変だとは思いますが、リハビリや介護を通してのコミュニケーションというのは、とても深いものなのではないですか?

Aさん 脳梗塞で麻痺のある患者さんが、退院も近いのですが、自分でやるよりも、依頼心があり、なかなかリハビリが進まないんです。もうすでに杖で歩いていてもいいぐらいの段階なのに、まだ車椅子で、トイレも介助が必要、リハビリで訓練はしているんですけど、すぐに、「やって」と頼ってくるんです。やってあげないと文句を言うので、「面倒だな・・」という思いがスタッフにもあって、やってあげちゃうんです。お掃除が好きな患者さんで、「家に帰ってお掃除がしたい。」と言うので、リハビリの時間以外にも、自主的な訓練を促すと、「私はやっている」と言ってやらないので、あまり無理に進めずに、「リハビリがどこまで進むかは、あなた次第ですよ。なるべくやりましょうね。」と声だけはかけています。「やってます。」と言う返事はありますが、あまり変わらないので、それはそれで、その人がそうしたいのだから、いいのかな・・と思っています。その人にどれだけ心を向けるかによって、やっぱり反応が違うなぁ・・というのはあります。以前受け持った患者さんは、認知症のような症状でしたが、こちらが一生懸命になれば、それが伝わって、受け持ちの私に対する態度が違う。心を込めて接すれば、言葉じゃないコミュニケーションで通じる。そういう実感はあります。特に認知症の方とは、心のレベルで話をします。

美智恵 本人が、「やっている」と言うのを、もっともっと、と言うわけにはいかないですね。その人の精一杯なのかもしれないし。「私には、やっているようには見えない」という自分の基準で物事を見てしまう、自分の訂正だな・・。と、私も娘を見ていて思うことがあります。相手を、弱いものとして見てしまう、自分の訂正ですね。アルツハイマーや認知症は、スピリット(自分の本当の心、思いの部分)に近づこうとしているのに、だけど、怖いからエゴ(生まれてから学んだ価値や道理)の記憶にしがみついている、混乱した状態にあるということを聞いたことがあります。スピリットにいくまでの過程を踏んでいるので、そのような方とできるだけ傍にいて、一緒にスピリットに行く過程を歩んでいくことは素晴らしいことだそうです。

Aさん 確かに、自分基準で見てたな・・と思います。病院のスタッフ側から見れば、もっとよくなるのに・・という思いがあるけど、そうなることが必ずしも、その人に一番いいか?と言ったらわからないですよね。 患者さんが歩けるようになりたいと言って、最大限の力を生かせるように訓練やケアをしていくけど、そこに到達しなかったからと言って、他にも手はあるし、最初からあまり強く望まず、やってダメだったら次がある、なるようになる、と思っています。 相手の言葉に反応しても、あまり意味がないというか、本当は何を言いたいのか、その人が、今どういう思いでいるか、どうしたいのか・・というのを汲み取ってどうするか考えたりしています。患者さんと同じ方向を向いていれば、ケアしていて困ることはないんです。本当はもっと、ゆっくり関わりたいのですが、今はここ、これだけ、とできるだけのことをしていくつもりです。

Bさん Aさんがそう思っていることが、患者さん含め、皆にとっての平和ですね。どこにいても、大丈夫だよねという訂正ですね。以前、ご年配の方が私の目の前でドサッと転んだことがあったんです。周囲の人も皆、びっくりして動きが止まる中、「大丈夫ですか?」と声をかけたのですが、その後をどうしようか考えていたときに、男性が来て、その年配の方に手を貸してどこかへ連れていきました。以前の私だったら、一緒に降りて付き添おうとしたと思うんですけど、その時の私は二人を見届けて、なんだか、「あぁ、これでよかったんだ・・」と思えた感じがあったんです。私たちは、「私がやらなきゃ・・」と思わなくても、みんなこうして繋がっているから、私の役割ということじゃなくて、その年配の方に、お声をかけたところまでが、私のコミュニケーション。みんな繋がっているんだ・・というのを思えた自分が嬉しくて、その経験が、ほっこりと幸せを感じました。

美智恵 「大丈夫。」という信頼と安心というものを見届けることができたんですね。 自分のできることはして、あとはお任せして、信頼して、安心する。患者さんを看る時も、それでいいのかもしれませんね。相手を弱いものとして見てしまうと、相手は弱いところしか見せてくれなくなってしまうし、信頼していれば、先ほどAさんが、おっしゃっていた、患者さん自身に考えてもらう・・ということも、お互いの強さを経験できることにつながるかもしれないですね。

Cさん ずっと前に仕事を辞めるって決めて、本社の方と話を進めていたんですが、私の思いを話していくうちに、「それは辞めるという方向じゃないよね?」と言われました。大きな病気を持っているお客さんの相談をしていて、お勧めした漢方を飲み始めて元気になった感じがしたのか、病院に行ったら数値が今までで一番よくなって喜んでいる、と言われたり、職場にくるお客さんで、有名人の方がご来店することがあるのですが、中でも、自分の好きな有名人の方がいらして接客すると、すごく緊張してしまい、その日一日は仕事にならないくらいになっていたのですが、最近は、その機会がプレゼントのように思えてきました。振り返ると、すごく幸せなことだなぁ・・。と思えます。 待遇や将来のことを考えだすと、もっとこうしなきゃ、あぁしなきゃ、というのが出てくるんですけど、仕事の内容として、やっていることは、今までの自分がやってきたことが全部生かされることだし、本当にやりたかったことだし、一番いいところにいるんだな・・と思います。

美智恵 待遇とか、将来の不安を見てしまうと、本当の自分の思い、心が見えなくなってしまいますよね。目の前に座った方が、好きな有名人だったり、どのような症状を持っているかによって、こんなにも私たちの心は動揺してしまうのがわかりますね。そのような騒がしい思いに耳を貸さずに、静かな平和な心の部分、本当の自分に戻る練習をされているんですね。

Cさん そうですね。自分で自分をキツくしていたんだと思います。どうにもならない人を相手にしちゃうと、なんで自分はもっといい方法で導けないんだろうとか、なんでよくならないんだろう・・とか思うと、今までは、そのためにはもっといい方法がある・・と転々としてきました。今できることを精一杯やればいいことを認めればいいのに、もっとできるんじゃないか・・というところを見つめすぎて「できない。できない。」という思いが自分を追い込んでいたなぁ、と思います。こんなにいい環境なのに、できない自分を責めて「ここに居ちゃいけない」とか「もっと違うことやんなきゃ」とかいう思いで、仕事をやめようと思っていたかな。「せっかく来てくれたお客さんにとって、いいことを提供できなかったらどうしよう。」というプレッシャーがあります。 でも、私が相談でやりたいことは、心の部分を見ていくこと、そういうところを知りたくてやっています。お客さんは漢方を求めにくるけど、やっぱり「お薬は支えですし、お店に来たということは、治りたいという気持ちがあるから、それが治る第一歩ですよね。」と、自分が自分を治すんだというのを、わかってもらえるように話したい。お客さんの話してくれることの中に、癒すべきところは心、ということを発見したりするので、その時どういう気がしましたか?とか、気持ちにつなげて、寄り添うように話しています。相談に来ているからには、本当は辛いんだろうと見てしまいまうこともありますけど、話してみると、ご本人も実際に大変そうですが、「それはそれで・・。でも私大丈夫なんです」というお話をされるんです。そういう方と接すると、病人にしているのは私のほうだな・・と思うことが多くて、「大丈夫なんだ。」というところを見させてもらっているんだなとも思います。

Bさん 私の職場にも、体を治そうと思って一生懸命に来る方がいます。その治そうという意思をちゃんと受け取ってコミュニケーションをとっていきたいなと思うから、心で寄り添うということ、お話を聞くということ、病気以外の話題を楽しむこと、お客さんがご自身と向き合うゆっくりした時間を大切にしていきたいんです。病気やその進行という、弱さを見てしまう自分の訂正をしています。 私には、癌を患っている叔父がいます。叔父は、入院中に、病棟の患者さんとコミュニケーションを盛んにしている様子です。その中で、自分が役立っていることを嬉しそうに話してくれるのですが、それを聞いていると、叔父も自分の強さを見ているし、私もその力強さを見させてもらっている。だから病人として見てしまっているのは周りの私たちで、ご本人は本当に強いなと思います。

Aさん 今、お話を聞いていて思いました。患者さんって、受け取るばかり、やってもらうばかりだと思っていたけど、逆に、自分が人の役に立ちたいと思うこともあるだろうから、それを、うまく生かせる方向に持っていくと違ってくるのかなぁ・・。と、今気が付きました。どうしても、医療者側が与えて、患者さんが受け取る側、と一方通行となってしまうけど、逆の流れを作っていきたいです。いろんな患者さんを見て、どんな人でも救われるというのを見ているので、本当になんとかなるんだと思います。

美智恵 どんな人でも救われるというのを、自分がしっかりわかっているって、素晴らしいことですよね。そのように確信しているBさんと関われる患者さんは本当に幸せだと思います。

Cさん 私には、甥っ子と姪っ子がいて、とても可愛いんですけど、この子たちが自分の子だったら・・と思うと、たまに怖くなります。毎日、心配しすぎて大変な思いをしそうで・・(笑)私は可愛がるだけでいいですけど、親は大変そうにしているし、預かったりすると、何をやるかわからないから、目が離せない。こんなのが毎日居るのかと思うと、私は無理かな・・とか思ったりして(笑) たとえば、家から少し遠い学校へ通わせているのを見るだけでも、ちゃんと帰ってくるのか心配なんです。そういうのって、みなさん、どうやって乗り越えるんでしょうか?

美智恵 最初は不安を感じてしまっても、送り出すしかないし、その自分の不安こそを、安心と信頼に変えていけば、あぁ大丈夫なんだ・・ということがわかって、それを繰り返して、信頼や強さを培っていくんだな・・と思います。その辺をしっかり子供と一緒に経験して、一緒に見ていかないと、子供のことも信用できてないし、自分もきちんとやれていない・・という思いが不安に変わるんだと思います。でも心配というものは、姿形を変えて、尽きないことも多くあります。こちらがいくら信頼したくても、何を信頼していいかわからないくらい、衝撃的な出来事もあるかもしれません。でもやっぱり、私たちは想像を膨らませて、妄想の中で子供たちを見ているだけなんですよね。心が先にあって、それが全てのことを引き起こしているわけだから、「ほら、やっぱり私の思ったとおりじゃん!」ということを、相手は見せてくれるので、心配や疑いは、自分が勝手に作り上げているもの・・というように訂正することですよね。この子が不安、この子が心配、というんじゃなくて、自分の中にそういう不安や心配があるということを知って、それを癒して手放していくことが私たちのやることで、相手がどんな失敗をしようとも、そこはまた、自分の中に湧き起こる、信頼のなさや、怒りを訂正すれば、それはもう、お互いにとっても失敗にはならないわけだから、どこまでも自分の心の中の訂正なんですよね。

Cさん 「じゃない会」には結婚してから参加したいと思っていました。今日は、天候の事情で旅行がキャンセルになったので参加してみました。次回は、パートナーと一緒に、パートナーシップについてシェアしたいです。

美智恵 自分にはどれだけのものがあるのかということを、患者さんやクライアントさんとの関わり、コミュニケーションを通して見ていく、お互いの光を見つけて自分のものとしていく経験をしていくことが、改めて大事だと思いました。それは家族や子供との間でも同じですね。

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