北九州クラスレポート 前半

Aさん とても気持ちよかったです。包まれました。

由美  娘が一緒でどうかと思いましたが、ホーリースピリットとつながっているので、心を周りの状況によって揺らさないことをしっかりと味わえました。それができないから、目の前の事をどうにかしようとしてしまい、心も揺れているわけですよね。

永保子  私たちはこの世界を見てしまうから、揺れるのは当然なんですよね。

Aさん  前はゆっくりした時間がある時に心を見つめられると思っていたのですけれど、レッスンをメールパートナーと一緒にやり始めてから、自分の心を見ることにすごく抵抗してるんだと思いました。その言い訳として、時間もない、旅行もするというふうに、理由付けをしてるんだなぁと思ったら、やっぱりやらなきゃと思いました。それで自分は、時間があるからやるのではなくて、忙しくて時間がないときほど、こう自分自身のハートに戻るっていう、一瞬でもいいから自分の心が揺れることがある時に、ここに戻ればいいんだって言うのを、レッスンがあるからすごくできて、忙しい時ほどそれがすごく効果的だと実感しました。忙しいからできないっていうのは、自分が心を見つめるのが怖い時なんだなぁと実感しました。そこに気づけて、今までいろんな理由付けをして断ってきたと思います。

永保子  例えばどういうことですか?

Aさん  このじゃない会もそうです。来たり来なかったりでした。無理をしないって言うのもありましたが、でも、今回のレッスンをメールパートナーとすることで、そのことに気づくきっかけを作ってくれたと思います。

永保子  最初、Aさんのレッスンパートナーの方から、「Aさんにメールを送っているけど返事がない。」と連絡がありました。「Aさんから無視されているんでしょうか」「私のメールに何か問題があったんでしょうか」と・・。彼女は小さい時にお母さんから数日間無視されたことがあって、それがすごく心の傷になっったと感じていて、高校生の時もいじめでクラスの皆から無視されたことがあって、それがものすごく心に上がってきたそうなんです。彼女の中にあるそういうものが、レッスンをしながら、わーっと出てきたんですね。そこで、「それはあなたが、レッスンに向かっていて、本当に解放されるために目の前に出てきていて、それとAさんとは全く関係ないんですよ。Aさんは移動中かもしれませんし、こちらからも連絡をとってみるから。」と言って待ってもらいました。それでも彼女は「やっぱりまだ連絡がきません。Aさんは本当に存在しているんでしょうか?」と、本気で言われました。

彼女にとっては数日でも、ものすごく長く感じたんですよね。そうして、「そのくらい、人って今の状況に過去の状況をかぶせて、自分を攻撃することに使っちゃうということが学べました。」と。そういう訂正ができるのも、パートナーがいてくれるからこそで、それらも含めてレッスンのパートナーなんです。

Aさん  最初は、1日が終わりそう、レッスンをしてない、読み返さなきゃ、こんな感じで何のためにやってるんだろう?Eメール書くためだろうか?とかそこでまたいろいろ思ったりとか。ある時は、気がついたらレッスンをしていなくて、相手の方はとてもたくさんのことを書いてくれてるのに、私は「忙しかったからと言うのを理由にできなかった」と書くときに、変な罪悪感を感じたり、そういうものをみつめるたびにいろんなことが見えてきて、凄く気持ちよかったです。本当にいろんなものに思い込みとか、やらないからと言って誰に私は迷惑をかけるのか?誰に悪いと思ってるんだろうとか?なんで悪いと思うんだろう?とか、自分で自分の罪悪感を作り出しているというか、レッスンをしても書くときに、こんなことを書いたら変に思われるんじゃないだろうかとか、人の目を気にしていろんなことやっているんだなって言うのを感じました。でも、やればやるほどいろんなことが楽になってきています。また、相手のレッスンの内容が、私に対するような内容だと感じることが多いです。そういう意味でもレッスン一つ一つ違うと思っていたのに、全部同じレッスンというか、違う言葉で表されているだけで、365のレッスン全部同じこと言っているんだなと感じました。

今回帰省して、親と1度も喧嘩をしていません。これまではとても気を使っていて、それなのに、あそこがなっていない、ここがなってない、子育てがなってないと怒られて、そうならないようにと努力すればするほど、違う結果になっていたんです。今年はすごく自分の心を見つめて、自分軸でいろんなことができたのがあって、気は使うけれども、自分がストレスになる気は使わないようにしようと思って、自分が楽しいこと、遊びに来てるんだから、自分がやりたいことをやろう。それを向こうから迷惑だって言われたら、その時になおそうと言う気持ちでした。そしたらほんとにいろんなことが楽になって、何も文句も言われなくなりました。

永保子  本当に素晴らしいですね。自分の心を見つめることをなさると、目の前にあるものが変わって見えてくるし、本当に目の前のことが変わっていくということが受け取れてきますね。

Aさん  まだ受け取ることはできてなくて、受け取らない事をしてるなぁと言うことに気づく場合がすごく多くなりました。弟が15年ほど心の病にかかっています。両親はすごく古いタイプなのでそんな時も、「もっとがんばれ」「男なのに情けない」などと、一番かけてはいけない言葉を彼に投げかけていました。それについて私は、もっと弟を受け入れてあげないといけない。弟に変わって欲しいのだったら、自分たちが変わらなきゃというような、説教じみたことや批判をこの10年くらい両親に言ってきました。でも、いつも「また説教が始まった」といような感じで避けられていました。それをやればやるほど、喧嘩も多くなるし、何事も変わらないし、結局はうちの両親が自分を責める材料をたくさんばらまいていたことに、いつも気が付くんですけど、止められませんでした。両親は、弟のことについて自責の念をとても強く持っています。私のためにもすごくたくさんしてくれます。それは嬉しいのですけれども、もっと自分が楽しんで欲しいと思っていました。でも、私が彼らにそうして欲しいと言えば言うほどしません。昨年からいろんな気づきがあって、自責の念にとらわれている両親は、それが彼らの選んだ道で、囚われながら、私と弟のために全力を注ぎ、自分たちのしたいことはしない彼らの意思を尊重してそれをさせてあげるというか、それは放っておいて、私は自分の幸せをまず考えることにしました。自分の心を見つめたり、自分が本当に何をしたいのか、自分の幸せに集中するように心がけてきたら、今年実家に帰ったら母が長年止めていたお花を再開していたんです。他にも、父と遊びに行った話なども聞いて、すごくこれまでとは変わっていたんです。私がこれまで、直接「変われ、変われ」と言っても変わらなかったのに、自分が変わったことで、見えないものが繋がっていて、うちの母が、自分が楽しいことをしようというきっかけを作ったのかな?と、それを実感、体感した感じですっごく嬉しかったです。

永保子  今年1月のじゃない会で 本当に自分がこうでありたいと思うことをしていくって話してくださいましたね。ちゃんとそれをAさんが見せてくれたし、お互いにそれをあの時に受け取れたから、それを心の中でキープしてくださっていた。それがあるだけで、何もバタバタ走りまわる必要はないんですよね。心にそれを持っているだけで、周りの人も変わっている。時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと受け取れていくって言うことですよね。

Aさん  小さな1歩です。弟の状況は改善してないし、その中で責めの言葉、あの時こうしていればよかった、育て方が悪かったという言葉をやっぱり聞くんですね。私が両親を信頼してないから聞かされているのかなあとかすごく思います。じゃぁどうしたら受け入れることに変わっていくのかなーって言うのが、やっているつもりなのに表れてこないなと感じたりします。

永保子  ご両親が自分たちを責める言葉を話される時は、まず、寄り添うだけでいいんですね。自分が何かをすることによって、誰かが良くなったり悪くなったりするって言う信念があるということに気づいていって、そういう事は一切ないと言うことを学んでいく必要があるんですね。 たとえば、私たちお母さんが、子どもにこういうことをしたから、子どもがこうなるって言う事は絶対にないんですね。何故かというと、そういう風に変化するものは、存在していません。エゴの世界の話であって、そこでのいろんな変化を見てると言うのは、自分の中の恐れがもとになった信念、もしくは意味付け、価値づけそういうものが形になって、かげろうのように見えているだけなんです。

Aさん  それは、私がみたくて見ている世界っていうことなんですよね。

永保子  そうですね、本当はそれを見たくないんだけれども、でも無意識の深いところでそれを選んでいる。この世界は怖いところだ、良くなったり悪くなったりする、それはお互いに影響しあって、傷つけ合って、頑張ってうまくいくこともあるけれども、気を抜くとすぐこうなっちゃうよねって。そういう、すごい緊張感と恐れと怖がった心をはらんだ物がベースになって、それを投影するとそれが見えてくる。それはホログラムみたいなものなのに、そっちを信じてしまってるんですよね。

Aさん  そこまではわかるんですけど。

永保子  それをずっと見続けていたいのかどうかですよね。見続けたくないんです、誰も。でも、とことんそれを体験して、見て、もう嫌だと思うまで、手放すことを選ばないんですよ。

Aさん  見ないと決めたのに見たから、ちょっと自分にがっかりしていました。

永保子  見ないと決めたけど、じゃあ何を見るかを決めてないと見れないですよね。これではない、本当に私たちが安心して、私たちがどういう状態であっても、完璧だというものを経験したいので、みんなでそれ分かち合いたい、安心したいということですよね。平和を経験したいのでそれを経験させてくださいと、お願いしなきゃいけないですよね。 間違った信念の世界、存在してないものを断固否定するって事をします。本当の世界を選んで経験するってことを選ぶでしょ。ここまではまだエゴベースなんですよ。ここまでしか私たちにはできないの。その先の本当の奇跡の世界、時間や空間を越えた、身体を超えた、常識を超えた、過去の経験や固定観念を超えた、本当の幸せな経験を受け取るためには、その能力は私たちにはないからホーリースピリットにお願いする、お任せする、信頼する。それは目の前の人の事を信頼することでもあり、自分自身をまず信頼することでもあり、お願いしているそのプロセスを信じることでもあり、受けとることでもあります。先ほど、まだまだ小さいことっておっしゃったけど、小さい経験というのはないんですね。それはエゴベースのこと。ほんとに一つ一つがすべて100%完璧。それを大切にありがとうございますと言うふうに受け取っていく、それを毎日毎日繰り返して、どんなことが目の前に見えてもそのプロセスに心がすーっといく、その心を作るということが大事なんですね。それしか私たちにはできないです。奇跡は、本当に委ねてお任せして待つ。私たちは、お願いした後でガサガサと自分で絶対にやっていますから。それもまた手放していかないといけないです。一つ一つをはしょったらできないから、すごく手間ひまがかかります。

Aさん  気づくところまでで、受け取る前に委ねることをしていなかったと思います。

永保子  委ねるには、まず、私が愛の経験をしたいと言う選択が1番に来るでしょ。それに関して自分で具体的に、これなら愛の経験になるんだと言うふうに思っている固定観念を一つ一つ取っ払っていく必要があるんですね。それをやると本当にね、過去の経験や自分の固定観念を超えた経験が来ますよ。本当に奇跡的なのがきます。それによって心が暖かくなったり、安らいだり、本当に幸せが広がっていくような、これがまた奇跡なんですよね。具体的な出来事じゃなくて心が変わるというのが1番の奇跡ですね。それがあると本当に奇跡は連鎖して起こります。

Aさん  自分のことを責めているお母さんというのは、本当のことだったのかな?と思うようになりました。自責の念に苦しむ母だという風に、自分が思っているから、母のそういう面だけを見ているんだなと思いました。日本に来て、それをすごく体感したのでこの感覚をもっと味わいたいなぁみたいなのがすごくあります。

永保子  本当に着実にやってらっしゃるから、ブレイクスルーするところですね。

由美さん、何かありますか?

由美  自分にも弟がいて重度のアトピーなんですけど、色々と親には苦労をかけていて、何かあるたびに父に連絡が来て、父がそれに対応していました。入退院を繰り返したり、金銭的な問題とか、身体のことで死ぬの生きるのなど様々に。わたしは海外にいて、全く知らなかったんです。それがある時、突然4人で一緒に暮らすことになって、するとまた家庭の中にいろんな問題が起こりました。母の自責の念、そして彼に関して心をどれほど揺らしていたのかも知ったし、弟の態度を見ていると病気を盾にして甘えているようにも思えて、腹立たしさなども感じました。そして、彼のことを、両親がいなくなったら、私はどうしたらいいんだろうと、不安を感じていました。もうずいぶん前の話ですけど、その時に何故か、覚悟を決めたんです。何故かわからないけど、どこでどこでどうなってそう思えたのかわからないんですけれども、もうそれは仕方ないと思って。意味があって生まれてきた仲間だから、私は何かあれば受け止めるだろうというふうに決めたんです。決めてからあまり弟のことを聞かなかったし、きかなくなったというか。でも、帰って来ても、両親に弟のことを聞けないんです。そこにやっぱり恐れがあるんだと思うんですけれども、連絡とってみようと思うけど、また母に聞いたりすると母の心が揺れるのではないかと思ってしまうからだと思います。両親のことは、私も二人のことをかわいそうだと思って見ていました。でも、本当の姿を見せて欲しいと一生懸命に祈った1週間があって、そうしたら、スカイプで見た父と母がまったく違ってたんです。何故かとてもキラキラと楽しそうな母でした。ホーリースピリットとつながって本当の姿を見たいと思っていたら見え方が違ってました。目に映るものはいろいろだけど、それをやっぱり使って、本当の姿を見たいとお願いして見ていく必要がありますよね。

Aさん  うちの弟も何度も命を絶とうとしたことがあって。私がいない時にそんなことが起こったら、母の心は壊れちゃって、じゃあその壊れた心を誰がフォローするんだろうとか、すごい心配だったんですね。この夏、事件がありましたよね?いじめで、先生との交換日記のやりとり。それを見て、心も痛みました。でもいろんな意見を見て考えることがありました。死ぬのが悪いっていうのもエゴだし、死ぬ前に何かできなかったのかと責めるのもエゴだし、生きることを選ばなきゃならないってことも、私たちのエゴなのかなってことが書いてありました。誤解されやすい言葉だし、語弊があるかもしれないけど、死ぬことが悪いことではないってことを、あの事件を通してふっきれたように思います。怖いとは思うんだけど、それを彼が選ぶんだったら、それは私の計り知れないことで私は何もすることができないんだろうなぁ、それを私はジャッジしないというか、母のことは心配だけど、私たちには何もできないことなのかなって、誰も悪くないんだなっていうことをすごく思いました。

後半に続きます

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