「じゃない会」レポート CRS
Aさん
1週間前、友達のお子さんの全身に急性症状が出て歩けなくなり、ずっと学校を休んでいて、みんなでとても心配していました。
昨日から少し良くなって、ごはんを少し食べられたと聞いて、今朝、友達の家に寄って来ました。少し歩けるようになっていて、声を出して話せるようになっていたので、言葉に表せないほど感動しました。
その子が、からだ全部を使って、健康であることの有難さを教えてくれている気がして、それを受け止めながらここに来ました。
なおこ
そうだったんですね・・。お母さんはどうされていますか?
Aさん
友達はすごく落ち込んで、一人で背負い込んでいました。日本と医療システムが違うのでわからないことが多くて・・。セカンドオピニオンも受けましたが、治療法が見つからず、痛み止めを飲むしかないそうです。そばで見ていて辛かったです。
なおこ
Aさんは、みんなが見守って一緒にいるよ。迷惑だなんてことは決してないから、どんな時も一人で頑張らないでねと、お友達の気持ちに寄り添って伝えてくださったのですね。
私たちも、クラスの最後に祈らせていただきますが、Aさんはお祈りをされていたんですね? いかがでしたか?
Aさん
お祈りした時、健康のありがたさを感じました。それから、足したり引いたりしないで、そこにいてくれるだけで完璧なんだという存在証明のようなものを、すごく感じました。今朝は、「歩けるようになってよかったあ!」と思いました。
今日は、もう一つ話したいことがあります。
子供が幼稚園に行くようになったので、今まで趣味でやっていたことを教える教室を本格的に始めようと思い、いろいろな人に相談しながら準備を経て、やっと第1回目を開くことができました。
そのことを応援してくれていると思っていた友達に話したら、全く逆のことを言われたので、すごく落ち込んでやる気がなくなり、準備していたこともいったん全部やめてしまいました。
どうして、そんなことを言うのかな?とか、私の受け止め方はどうなんだろう?と考え込んでいます。
なおこ
Aさんは、ご自分の喜びと情熱をまっすぐに広げたいのですよね。それを自分でやろうとしても恐れが現れますし、恐れを見ている時、自分で大丈夫と思い込もうとしても効果はないので、相手の人が言ってくれていることは、自分の心の反映だと受け入れることから、心の訂正を始めてみませんか?
相手の言葉の内容と同じことが自分の心にもあるということではなくて、自分の足りなさを見て、判断して怖がって揺れているのを教えてくれているのかな、ととらえてみるとどうでしょうか。
Aさん
私はこんなに精一杯やっているのに、どうしてそんな風に、足を引っ張るようなことを言うの?と思ってしまいます。
なおこ
「一番認めてくれていると思っていた人に批判されて寂しかった・・」という思いを、受け入れてあげられるといいですね。
心細く思っているのを押し隠そうとか、解釈して理解してうまく乗り越えようとしても効果がないので、言葉がどうであっても、その奥にあるお互いを応援しあっているんだということを覚えている心を、焦らずに思い出したいですね。その時に、自分ではできないので助けてくださいという心で、向き合いたいですね。
Bさん
私は自分のオフィスで、ボディーワークの仕事をしています。Aさんのお話を聞いて、私も今まで、人とのめぐり合いで、ひとつひとつ乗り超えてきたと思いました。支えてくれた人がいるんだということを一つ一つ思い返してみると、どんなにがっかりすることがあっても、自分に大切なことは、忘れないでいたいと思うし、人がすることや言うことは、常にその人がベストだと思ってしていることだと、捉えられるようになりました。
私が学んできたことで一番難しかったのは、判断しないということでした。
日本人として育ってきた環境から、こうでなければいけないというのがありました。でも、判断しないというのを自分に当てはめた時、楽になりました。
自分が描いていることに、それではだめじゃないという風に思わないようにしました。自分を責めないでいよう、なぜなら、みんな自分にベストだと思っていることをして生きているからと・・。
たまにクライアントさんが、体の痛みに耐えかねて、ものすごいフラストレーションを言葉でぶつけてくることがありますが、そういう時は、今は吐き出すことが必要なんだなという風に捉えています。すごいな、そこまで我慢していたんだなと思うし、今は、エネルギーの発散が必要なんだなという風に見ています。
クライアントさんがどうであれ、私にとって安全だな、安心だなと思えるようにとやってきたことを認めてみたら、すごく楽になりました。
クライアントさんから金銭面の質問があれば、なぜその金額に設定しているかということも、きちんとお話しています。
その上で、疑問があれば、私は自分の方法だけが良い方法だとは思っていないので、他の方法でご自分がいいと思うものを探してくださいとお伝えしています。
そこにおいても、相手も自分も悪くない、すべての人にすべての機会があって良いと考えています。
許せるというよりは、自分と他をくっつけて考えないということです。
きちんと自分が信じるものがあって、そのうえで、クライアントさんに選んでもらって、それで去っていく人がいても、またお会いできたらという思いを持つだけで、その人を切り離すという気持ちにはならないです。そうすると、すごく楽になりました。
なおこ
経験をわかちあってくださってありがとうございます。外側に反応して自分を裁いてしまうと、一番元の気持ち、それを分かち合いたい気持ちがねじれてしまうので、自分を裁き始めたら、愛を分かち合うのとは反対に向き始めていると気づきたいし、そこで立ち止まりたいということですね。考え方や感じ方が一緒でも違っていても、その奥にあるひとつの心に繋がりたいのだったと、Bさんのお話を聞いてあらためて感じました。
・・・Cさんのお話に続きます。
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