参加者さんの感想
違いのあるものと、足りない自分を見ている間は、不安定で守らなければいけない世界を経験します。穏やかで喜びのある経験は、こころの持ち方ひとつにかかっています。
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「自分」と「他者」 私達はみんなひとつ。
そう感じた時の心地良さを知っているのに、「自分」は誰とも違う、唯一の存在だ。
そんな風に思いたい自分がいる。 「自分」は他者とは違っていて、比較することによってしか自分を感じる事はできない。
そんな風に信じ込んでいた時は沢山のドラマを毎日の生活に見ることを自分で選択していることも気付かずに、人生とはこういうものである、と思い込み、劣等感や欠落感、孤独感のような嫌な気持ちから抜け出すには努力をするしかない、そう思い込んでいました。
努力すればするほど上に行ける、欠落感が減る、。
過去についたあの傷を癒すには努力してそれに向き合うしかない。
頑張る手を止めたら、どんどん落ちて行く。
だからひたすら走り続ける。
こんな生活を当たり前と信じてやっていました。 「奇跡のコース」をはじめて約半年。
「じゃない会」に通い始めて8ヶ月。
これらの信念が幻想であること、それを目撃し体感する出来事が毎日のように起こっています。
その中でわたしのエゴは行き場を失いつつありますが、それでも幻想の世界の魅力を見せつけてきます。
どの瞬間であれ、スピリットとつながるか、エゴの幻想に酔いしれるか、どちらを選ぶかは自分次第なのだという「自由」、それゆえの「迷い」が色んな瞬間に感じられるようになりました。 それは時には苦しく感じられます。なぜなら私はいつも優等生でいたいからです。
いつもスピリットと繋がりたいという理由よりも、この優等生でいたいという気持ちが、スピリットと繋がることの邪魔をしている、にもかかわらずです。
コースの教えは、スピリットといつでもつながれるようになる導きであり、優秀な生徒になることが目的ではないのに!! そんな事を色んな場面で体感した、今日のじゃない会でした。 クラスは自己紹介から始まりましたが、私はこれが最近とても、苦手なのです。
理由はなぜだかわからないのですが、自分が何者かということを紹介する時に、エゴが自分に取って代わって話し出すような感覚があり、言った後に後悔というか恥ずかしく感じます。
これらの理由で私の心はバランスを崩し、そんな状態からクラスは始まりました。 瞑想のあと、なおこさんにどうだったか聞かれたので、正直に、雑音で集中できないどころか怒りの感覚までも出てきましたと伝えました。
するとなおこさんが、そういう時はいつでもおっしゃってくださいね、と言ってくださり、違う方法で雑音は解決しました。 なんと、シンプルな! ただ、雑音が気になっただけ。
もっと集中したかっただけ。
それをシンプルに伝えるだけで良かったんです。 恥ずかしい、とか、神経質と思われる、とか、気を使わせてしまう、とか、ご迷惑をおかけしてしまう、とか、ワガママと思われるかも、とか。。
それがいきすぎて怒りまで!(じゃない会をこんなにも楽しみにしてたのに、なんで?!)という気持ちが出てきた私ですが、なおこさんの声をもっと落ち着いて聞きたいです、という気持ちの部分から伝えることができたことで安心しました。 そのあと、最近自分が気になっていることをシェアさせてもらいました。
それは親友との間で少しすれ違いのようなものがあったことに私がスッキリせずにいました。
話しているうちに、それは友達ではなく私の中の迷い、葛藤なのでは?となおこさんに指摘され、最初は正直全くそれがわかりませんでした。
そうなのかなぁ、そうなの?と自分に聞いてみました。
でも何か、すごく言われたくないことを言われたような気がしました。
この感じはなんでしょう?
なんだか自分の正体がバレてしまうのじゃないか、というようなドキドキした感じです。正体?!なにそれ?意味がわかりませんが、そんな感じがするのです。
その感情をうまくシェアできませんでした。
頭も少し混乱していました。 その後、他の方のお話を伺いました。
初めてお会いする方ですので、全く何も知らないところからお話を聞いたのですが、彼女の話を聞いているうちに、その真摯に自分の感情や周りの人の感情に向き合ってる姿が、最初は彼女を苦しめているのではないのか、と思い「そんなに難しく考えなくてもいいのでは?」と言いたいような気持ちになりました。
でも、それはすぐに自分が彼女の話を聞いて感情が圧倒されているのだと気づきました。
どうして私がそうなるのかしら。。
私が彼女の代わりになって何かをしてあげられるわけでも無いのに。。
そう思った時に、はっとしました。
私達は何もしなくていい。というか、私が自分1人でできることなんて本当に何にも無い。 そう思いだした時に、一歩自分から下がったというか、その方の言ってることが始めて耳に入ってきました。
ただ聞く、そんな感じで耳に入ってきました。 するとそこで感じたのは、その方がご自身の感情や周りの方の感情をお話になられる姿は、自分がピアノの前で即興で何かを弾いたり作曲する時の感覚と似てるな、と思いました。
真摯に向き合って、自分の心に聞こえてくることを紡いでいるような。 そのことを伝えているときにまたさらに気づいたことがありました。
私の親友とのすれ違いのヒントがここにある、そう思いました。
親友の話を私はただ聞くことができてませんでした。
彼女にはアドバイスを求められることも多いので、なんとなく構えている自分もいますし、そうありたい(彼女に与え続けられる自分で)と思っているのも事実。
一方、こんな風に私が与えるばかりの関係は嫌だと思っていたことにも気づきました。傲慢ですね。笑 親友との間にズレを感じたのはまさに、私がエゴの考えにズレを感じていたことと似ています。 私が何かを与えている、と思っている関係。
これは幻想でした。
でもそこにしがみついている自分もいます。 最後にロウソクの瞑想の時に、その方と自分がハグしてて、そのまま自分の胸に入ってくるイメージがありました。
何もしてないのに、嬉しい。
ほっと、心が静まりました。 なおこさんが、それが与えることなんですね、と。
何もしなくていい。 私の中の与えるの定義が変わりました。 今日もありがとうございました。

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