参加者さんの感想

4/9/2018

心を観察すると、これまで気づかなかった思いが見つかります。その思いは心の平和と喜びを揺るぎなく支える力になっているでしょうか?
4月は、思いを裁かずに受け入れる練習と、その向こうから溢れ出す心の力に触れる嬉しい分かち合いがありました。
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自分が体験した出来事や、自分のこころの中の話をしていて、その時泣いていたとしても、心の中の静けさと共にいて、その静けさにゆだねていると、それは、相手の人に愛として伝わるのだという気づきがありました。
 
わたしは、自分が話したり泣いていたりしていても、なぜ、そのことに相手の人が感謝してくれるのか、時には、涙を流すほど感動してくださるのか不思議に思っていました。相手の人に感謝や感動を伝えてもらっても、わたし自身は言わなければ良かったと恥ずかしく思ったり、泣いて迷惑をかけたのではないかと後悔するきもちがあったからです。
 
でも、わたしがゆだね切った心でいると、そこから出てくる言葉には愛が込められていて、それが人に伝わるのだと気づきました。自分の心を観察しながら、自分を押さえつけている思いを手放したいと祈っていると、意図していなくても、相手の人の心に自然と感動が伝わるような言葉が、不思議と出てくるのかもしれないと思いました。
 
それでもわたしには、そんな風に感動するような状況になってしまうことに躊躇する思いがあります。この日に教えていていただいたのですが、わたしたちは、せっかく愛に触れる経験をしても、エゴと一致している今までの自分を保っているほうが安心なように勘違いして、そこにひっこんでしまうのだそうです。次回まで、そんな自分のこころを優しく見ていこうと思いました。

 

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シェアされている方々と、永保子さんの会話を聞きながら、ずっーと涙が止まりませんでした。わたしには、こんなにも寂しい思いがあったのか、、そして、保育園に預けている娘を可哀想、寂しそうとみていたのか、、、。

もう寂しいんだか、悲しいんだか何だか分からないくらいに溢れてくる思い、、、。

その思いをじゃない会でたくさん受け入れて、その中で大切にしたいなぁという思いは、やはり、「わたしは一人ではない。」ということでした。

みんなが寄り添ってくれている、そして宇宙の力も愛も寄り添ってくれている。それは全部ちゃんとわたしの中にあるという気づきがありました。

 

もうひとつは、この寂しいという気持ち、、、。

この気持ちをどんなに感じたとしても、「今の経験に被せないこと」。

わたしは、今目の前の経験のせいで寂しいのではない、ということ。それを覚えている心でいたいと思いました。

心の強さ、あらゆるエゴの思いを被せないでいること、そこに信頼を置きたいと思いました。

 

 

 

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