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2019年の幕開けです。今年初めのじゃない会は、年末年始の家族とのできごとを通して、こころの中にあるものを見つめました。

わたしたちを、喜びと愛の中に送り出し、包んでくださっているご家族のみなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたします!

☆☆☆☆☆☆☆

 自分の思いは、全部自分の責任だと受け止めたはずなのに、いろいろなことを夫のせいにしたくて、夫を責めたくて、エゴがムズムズしているのが分かります。

 息子が友だちと遊びたがると、夫は遊べるかどうか気軽にそのお宅に電話したり、尋ねに行きます。わたしには、夫が自分勝手で、人の迷惑や気持ちを考えずに自分の判断で良い様に解釈して行動しているとしか思えません。

 周りの空気を読まずに言動する夫、それを恥ずかしいと思っている自分。どうして恥ずかしいのだろう?それは、自分が安心できないからなのですね。どうか、どうか、わたしの不安は本当のことではないといと教えてください。そう、ホーリースピリットにお願いしました。

 あれも、これも、自分の思いは自分が作っています。夫は、息子と友達が遊ぶことをただ喜んでしていることなのに、(夫は、息子だけでなく、息子の友達からも慕われていて、キャンプのカウンセラーのように大人気です。)わたしは、それをただ恥ずかしく思ってしまっています。

本当は迷惑しているのではないか、こんなことをしてたら、いずれ息子に友達がいなくなるかもと、、。夫にいくら話しても、わたしのこの感覚は分からない、と。。

 これも自分で作っているドラマ。でも、このドラマを捨てきれないのが、本当にもどかしいです。いつも同じことばかり言っていますが、こうして参加すると、自分を見つめて少し冷静になります。本当に有難うございます。

 じゃない会が終わると、平和なあたたかい気持ちになって心が軽くなっています。ありがとうございます。息子のことも、全てがよきことのためにあることをいつも覚えておきたいです。急がないで、自分で探しては作ってしまう恐いストーリーを手放していきたいと思います。

 年末年始、いろいろなことがあったのですが、あらためて昨日ふりかえってみると、過去のことで何がどうとかあまり出てきませんでした。昔の私だったら、あーだ、こーだ教の、どーのこーのさんに大変身して、いろいろと並べていたなぁと。  シェアの時、最初は去年の仕事での衝撃的だったこともすっかり忘れていて、最後にあ、忘れてたと思って言いかけたけれど、結局その答えも、○○さんのシェアを聞いている時の永保子さんの言葉にあった、起こっていると思っていることを360度の視界の中でふんわり見てみる。この言葉で終わっちゃった感じがしました。  クラスでもシェアしましたが、時間の感覚が変わってきていて、去年のこと、具体的に言うならひと月前のことなんか、すごく昔のような気がするし、新しい年が来て10日ちょっと経ってるのだけれども、まだ10日しか経っていないのに、まるで1ヶ月たったみたいな濃い感じがします。  日々何かしらすることはあるけれど、せかせかしてるかといったらそうでもないし、今までとの大きな違いは、平和で静かな時間が増えたことです。家族との関係も、両親との関係も、義理の両親との関係も、仕事も、なにかを埋め合わせるために頑張らないという感じでしょうか。生活していくわけですから働かないといけないし、家のことも、夫や子供たちとの関係も放り出してはいないのだけど、そのことにかじりついていない私がいます。  〜しないといけない、〜するべきという追い込まれた感じから、目の前に洗濯物があるから洗濯して、食材があるから食事の準備をして、予約が入ってきたら仕事して、変更の連絡が来たら変更するという感じです。  年明けに熱が出て自宅入院をして、自分でしないというより、いろんなことが自分でできなかったので、家族にお願いするというレッスンがありました。  すべてにわたって、居合わせることを受け入れる先のことを思い煩わないでいると、ちゃんとサインを見せてホーリースピリットが教えてくれていました。ありがたいことです。ちゃんと私、愛の中にいるのですね。  いつもありがとうございます。年3回の東京セミナーがますます楽しみになりました。

 先週、じゃない会に参加しました。私の中に根深く「人に迷惑をかけている」という思いがあることに気がつきました。それをもういい加減手放したいと思いました。  その翌週の朝、いつものごとく電車でレッスン、父母への祈りをしていると、ふと、今まで私が親のせいでひどい経験をしたとか、あんな事やこんな事をされたと被害者意識を持ってきた様々は、実は全て親のせいではない、という感覚が入ってきました  もともと私の心にあったもの、それと親のしてきたとわたしが信じてきたアレコレがひっぺがされた感じ。確かにそのせいではない、という確固たる感覚。  それとほぼ同時に、「両親が離婚したのは私のせい」という思いがやってきました。 親が喧嘩するのも仲が悪いのも全部わたしのせい。アレもコレも全部自分のせいだと思って私は生きてきたの???  そこからずっと、私のせい、私のせい、私のせい、、、という思いが連呼してました。そこからちょっとブワァーと感情が溢れてきて、わたしの見ているアレやコレも全部「わたしのせい」と思ってきた思いの投影なのかな、と、ストンと腑に落ちる感覚もありました。両親への祈りを、やり続けようと思ってます。

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