10月 みなさまからのシェア

みなさまのコメントの一部を掲載させていただきます。

 近所に住む息子の友達と、その子のお姉ちゃんが家に来るたびに、好き勝手、やりたい放題する様になって来ました。その子たちが、わたし自身の心を見つめて訂正するために、わたしの前に来てくれているなんて、とても思えません。

 でも、ここでも子供達の光と愛が見られるようにとお願いするのですよね。子供達の笑い声を聞いて、以前「子供のワクワク(喜び)に寄りそう」と聞いた事を思い出しました。子供達に全く寄り添わずに、勝手な事する子供達!と決め付けていたのは私自身だったと今更ですが気が付きます。わたしとあなたは違うという風に見ていた自分を手放します。

 それから数日して、息子の友達は来ずに、そのお姉ちゃんだけが遊びに来ました。わたしは午後から出かける用事があったので、子供達を夫にお任せして出掛けました。夫を信頼してお任せして安心と共に出掛けました。

 家に戻ると、息子と近所の子は楽しく遊んでいました。わたしが気にしていた出来事は起こっていませんでした。わたしが気にしていた事は過去の記憶で、その過去の言動を大きくし、勝手に作り上げて自分自身を脅かしていたんだな、と感じました。

 わたしは本当の彼女を見ていなかったんだと気がつきました。近所の女の子は、可愛くて愛がいっぱいの10歳の女の子でした。それを感じると、とても愛おしい気持ちになります。気がつけて本当に良かったと喜びが広がっていきました。

 そして、息子の喜び(ワクワク)にも寄り添うことを意識しました。グラウンディングも意識して、イライラしそうになったら思い出しました。

 いつもは絶対に一回では、はい!と言わない息子ですが、その日は、お風呂入ってね、と言うと、一回で分かった!と言いました。

 いつもこうだったら、なんて楽だろうと一瞬思いましたが、一番大切なのは、息子の愛と光を見る事だと訂正しました。言動は関係ない。真実はそこにはない事を思い出しました。

 最近、仕事にしても何にしてもやる気がおきなくて、心を観察することを怠っていると、何とボヤけた感覚になることでしょう。周りに当たり散らす自分が、ほとほとやだなぁと感じた今朝、目に見える形に意味はないこと、形が私たちを幸せにするのではないこと、人は決して傷つかないことを思い出せるように祈りました。心が安心に戻って行きました。

 最近、娘がすぐあれ買ってこれ買ってってお店でただをこねることに嫌気がさしていたのですが、今朝旦那に、娘が本当に欲しいものは、形あるあれこれではなくて、みんなが笑顔で安心した幸せな気持ちでいる事だったんだよね。それを忘れてたなぁってことをシェアしました。

 そしてそのためにも、旦那にも協力して欲しいということも。ひとつひとつの出来事に意味はないのだけれども、その時に私の心に浮かんだ様々、、、をゆるしていきます。 

 全ては愛を分かち合うためだということ。一人ではできないから、助けてもらいながら今日も過ごします。ありがとうございます。

 自分を責める思いは、そのまま外の世界へ投影されているのだという事に気がついては手放す、、その繰り返しなのですね。

 朝の支度に時間がかかり、娘を怒ってしまった朝、自分が父に怒られた時の父の顔と娘が重なりました。誰も悪くないことを思い出したい、誰もきずつかないことを思い出せますように、、、

 そう祈って過ごした夜、娘と旦那のやりとりに、恐れで反応してしまいましたが、周りで起こっているように見える出来事は、ただただ私の心を訂正する道具として使ってもらうのだったと思い出すと、二人のやりとりが私の中で笑いになり、翌朝は同じ時間に起きたのに、安心した穏やかな時間を過ごすことができました。

 自分はさせていただく存在、と受け入れると本当に楽なのですね。そう受け入れる事で、全てが感謝に思えるなと思いました。

 友人とのラインのやり取りで気になることがありました。その気になることを自分で勝手に大きな妄想に膨れ上がらせ、相手をジャッジしていました。わたしは相手にジャッジされているのかもしれいと恐れ、その恐れによって、わたしが相手をジャッジする事で、気持ちを着地させようとしてしていました。

 ドラマに入りかけた時に、誰もジャッジしないんだったと思い出しました。思い出す事が出来て本当に良かったと感謝です。

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