みなさんからのシェア

2/29/2020

2月に参加されたみなさんからのシェアです。ありがとうございました。

 

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 見るもの、感じること、困難だと思うことに対して、何か肩の力が抜けるような、感じがしています。

一生懸命答えを出そうとしないことで、逆に自分らしくいれるような、そんな感じがしています。

 

 

 

 私は今まで力でねじ伏せるようなエネルギーで子育てしてきていたなと気づきました。

私の見方次第でいくらでも自由に解放していける、喜びを感じられる意味を今に見出せるんだなという気づきをいただきました。

絶望感や、手遅れかもと思う焦燥感を手放すことができました。

子供の出来不出来をジャッジする暗い自分となるべくサヨナラしたい!し、できるようになる考えを教えてもらいました。

 

 

 

 改めて、自分の足りなさ、自信のなさを手放せないでいることに気が付きました。

子供に綺麗な字を書いて欲しい、漢字の書き順を正確に書いて欲しい、適当にするのでは無くて色んなことをきちんとして欲しい。

子供を通して小さいことにいつまでも拘る自分=自信のない自分、を見ることが出来ました。

文字にすら、自分の足りなさを見ていたことに、エゴはどんなことでも攻撃の道具にしていくんですね。

きちんとしていたら、良識ある人、と思われる。

綺麗な字なら、知識がある人、と思われる。

誰の評価を気にしているんでしょうか? 

誰も人のことを評価して、裁く者はいない。

私は、自分で自分を評価して、裁いていたんだなと気がつきます。

いつも同じことを繰り返していますが、何度でも気付き、訂正出来ることを嬉しく思います。

息子が乱れた文字を書く度に、私の心はグラグラと揺れていました。

でも、それは息子がお母さん本当のことを見て!と教えてくれていたのかなと思うと感謝です。有難うございました。

 

 

 

 参加者のお一人の、「子どもにきれいな字を書いてほしい、何でもちゃんとやってほしい、とつい思ってしまう」というお言葉が、自分自身の子ども(小学2年生)に対する様々な思いを、改めて振り返るよい機会を与えてくださいました。

日頃、まわりのママたちから聞こえてくる心配やあせりなどに、動揺している自分。

“字がきれいでなかったり、書き順が違ったりすると中学受験で不利”、

“苦手な科目を補強するために、塾に早くから通わせたほうがいい”

…などの情報に真剣に耳を傾け、賛同しそうになりながらも、

その一方で「それは違う!」、「もう、子どもをそんな枠に閉じ込めるのは本当にやめたい!」と心の中で叫ぶ自分がいつもいました。

そして、今回のじゃない会で、その心の声がはっきりしました。

「子どものためを思って……」は、親の恐れや罪悪感、欠落感を子どもの“快挙”によってごまかし、覆い隠したいがためのこと。

私は本当に、子どもの足りないところを見続けたいのだろうか?

親のプライドを満たすために、子どもを受験競争に放り込みたいのだろうか?

子どもが好きなことに熱中する時間を大幅に削ってまで、早くから塾に通わせる必要があるのだろうか?

苦手なことを伸ばすことは、本当に意味のあることなのだろうか?

……すべての答えは、私の中で『NO』で統一されました。

私は、子どもが本当に好きなことに没頭し、生きる喜びを感じて輝いている姿が見たい。

それは、自分自身にも、まわりのすべての人たちに対しても共通する思いです。

そのために、いつでもホーリースピリットに、それぞれが行くべき道に自然に進めるよう、そして置かれた場所で愛を分かち合えるよう助けてもらいたいです。

任せて、ゆだねて、安心していたいです。

子どもを健やかで賢く、周りの人や世界に手を差し伸べようとする人に育てたい。

ならば、まずは母親が心穏やかで、落ち着いていることが大切、という主旨の永保子さんの言葉が心に響いています。

参加者全員の心の奥底までのぞけるような、広がりとつながりを感じられる分かち合いを、どうもありがとうございました。 

 


 

 


 

 

 

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