外出自粛になって #4

 犬の散歩で数ヶ月に1回くらいお会いするご夫婦がいて、今日はそのご主人がお一人で三頭のわんちゃんを散歩されていました。

以前から奥さまは足があまりよくないご様子でしたので、ご主人だけで散歩をされているのも珍しくはなかったのですが、なぜだかわたしの内側からその方に声をかけてみて、という感じがありました。

 それから不思議なことに、うちの犬がその男性の所まで引っ張って後戻りする形になりました。

ご挨拶をして、「奥さまはお元気ですか?」とお聞きすると、今年の1月末に亡くなられたのだと言われました。

久しぶりに人と話された事もあったのか、奥さまが亡くなられてからのお気持ちを色々話して下さいました。

 お話しを伺いながら、その方のスピリットへご挨拶し、どの様な状況に見えても、目の前の兄弟が神の完璧な安らぎの中に在ることだけをみたいので助けて下さいとホーリースピリットへ祈りました。

 別れ際にその方が、三頭の犬の世話は大変だけれど、今は、落ち着きすぎるくらい気持ちが落ち着いているのだと言われました。

わたしには、何も分かりませんが、そう言われたその方の悲しさや寂しさの奥に、決して何ものにも影響されない静けさを感じた気がしました。

 もうわたしは娘に自分を重ねて見たくない。こんな悲しそうにしているように見える娘をわざわざ作って、自分をはりつけにしていたくない。

もうその必要がないですよね、と、ホーリースピリットの優しい声が聞こえてきたような気がしました。

瞑想していると、母への感謝の思いが湧いてきました。その後の瞑想でも。

 ふと、電話したくなって、とても久しぶりに母に電話しました。

電話の声から、圧倒的な愛のようなものが感じられて、涙がこみ上げてきました。

毎回、母はわたしを置いて行ったことをごめんねって謝ってきますが、もうそこに全く罪悪感を感じていないわたしがいました。

ただただありがとうが伝えたい。受け取った愛をそのまま伝えるように、分かち合うように感謝の気持ちを伝えました。

 そうすると、今まで、毎回父や継母に対しての恨み辛みしか出てこなかった母の口から、わたしが父に育てられてこれでよかったのかもしれないねぇって、初めてそんな言葉を母から聞いたのです。

 子育てを経験しながら、娘と離れて暮らすなんて考えられない。

わたしを置いていった母の思いを考えた時に、離れて暮らすことになったけどずっとわたしを思いながら生きていてくれてありがとうという思いが湧いてきました。

嫌いにならずに、忘れずにいてくれてありがとうという感謝の思い、父や継母、出会ったもうありとあらゆる人への感謝が溢れてきました。

 そんな心で旦那と娘を眺めると、本当に穏やかで優しくてゆるされている思いがわたしの心を満たしてくれました。

 レッスンを思い出している一日は、本当に、大切なことことを忘れて過ごす一日と全く違うことを実感しました。本当は時間も、違いもないのですが、、、。

 仕事で泊まり勤務をしてますが、エゴの計画ではアレもコレもやらなきゃとか、早く早く、でもやりたくない、終わらないなど、罪悪感で心を騒ぎ立てます。

仕事以外の事でも。

 だから不安や恐れが出てくる度に、思い出してはレッスン、ホーリースピリットにお任せするように過ごしていました。

すると作業がスムーズに進み、失敗と思えることが笑いになり、気がついたら感謝と共に終わっていたというような感じです。

その中で、ふと心をよぎった方にも連絡してみたり。一日を終えて心の底から湧いてくる感謝の思い、、、ここにいさせてくれてありがとう。

 エゴかスピリットか。恐れか安心か。本当に選びたい方を選べるように、祈り続けます。

 自分が勝手に描いたこうでなければいけない、こう言う人であって欲しい、と言う理想像。

それには全く意味も価値も無いと分かっているのに、それを自分の見えないところで、夫や子供にも押し付けていたな、と感じました。

 心配は自分本位の思考であり心配することは自分を守りたいから。

心配ではなく、信頼して心の目で見ていけることを忘れないでいたいと強く感じました。

 私の思いは存在しないこと、神の思いだけがあること、愛と光を見ること、それを心がけて行きたいです。

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