訪問看護の現場(職場)から #3

 私は職業的なことも多少は影響しているのか、自分の心がいつもだれかを助けなくてはいけないという思いからスタートしていると、ふと気付くことがありました。

振り返ると、いつも靴を履いて一歩外へ出た瞬間から、そのスイッチは自動的に入っていた感じすらします。

奇跡のコースで、わたしたちは全員すでに助かっていると繰り返し学んできても、私のその思い癖はまだしみついたままだったと思うと、エゴはやはり侮れません。

 ここしばらく前からの、私の中の''助ける必要がある人"は職場の上司でした。

半年くらい前から上司であるその彼女から人間関係や仕事での相談を受けていて、最近更に彼女を取り巻くものが大変になってきているのだと、暗〜い声での彼女との電話を切った後に、私は彼女をどうしてあげたらいいのだろう?と思って見ている事に気付きました。

これは、私のお決まりのパターン。助けなくてはいけない人がいるという見誤った見方。 真実には、彼女が泣こうがわめこうが、はたまた私にしがみつこうが(そんな事はされていませんが、笑)彼女は完璧な神の子で、何の罪もなく、たった今神様の中で完璧にゆるされてくつろいでいるのですから。

 お盆休みが明けてから、しばらくぶりの出勤の朝、靴を履きながら、もうそんなこれまでの間違った、助けなくてはいけない人がいるという見方は手放して、本当にわたしが兄弟を助けたい思っているなら、既にわたし達全員が助けられている世界を見たい、つまりホーリースピリットと一緒に見るということだけをしようとこころに決めて家を出ました。  その日、わたしが仕事を終え事務所へ戻ると、彼女が高い所での作業中にバランスを崩して色んな場所に頭や身体を打ちながら、転落したと聞きました。

首を冷やしながら占い好きの彼女から、職場の方向が良くないとか、今、厄年だとか、破壊のエネルギーが強過ぎるとかいう話しを聞きながら、わたしは静かに朝の決心を思い出していました。

彼女は助けなくてはいけない兄弟ではなく、完璧な神の子。

ホーリースピリットへ今一度、こんな大変な事があった様に見える彼女を一緒に見て下さいとお願いしました。

 そんな大変な事故がありましたが、むりをしない範囲で彼女は仕事もやれており、何より職場のスタッフ全員が彼女へ、温かい言葉かけ気遣いをしてくれて、それを受け取る彼女の瞳の奥に身体の痛みを超えた安らぎを見せてもらえた瞬間がありました。  何より、わたし自身がすでに助けられているという経験をするために、彼女が目の前に現れてくれたことに、こころから感謝します。

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