幼児教育、安心と信頼

 「私たちはひとつである。私たちが何もしなくても、すでに調和していて、すでに為されている。」この言葉がとても深いと思いました。

 昨日読んだ幼児教育の雑誌の中に、子どものことを愛しましょうと書いてあるところがありました。育児書はあるけれども、参考程度にしておいて、それよりも、目の前の子どもをよく見て、あるがままを受け入れ、愛しましょう、と書いてありました。

 その子が持って生まれたもの、命、輝きだけを信頼することができたら、本当に楽だし、すでに為されているのならば、それを信頼するしかやることはないのではないか、とも思いました。

 周りのママ友が何か習い事を始めたと聞けば一瞬焦る私がいます。でも、本当にそれが必要なのか、立ち止まってみようと思います。すべて為されているならば、習い事をやめる、という選択肢があってもいいのかな、とも思います。

 他の子はちゃんとできている児童館の2歳児クラスで脱走ばかりする息子。それはある意味ラッキーで、私のゆるしの機会をたくさん与えてくれているだけ、という見方で接してみよう、と思います。そして、「この罪悪感はいりません」とゴミ出しをして、ホーリースピリットに持っていってもらおう、と思います。すると、持っていってもらえることが少しずつ分かってきました。

 その雑誌には、逆のことを考えればよく分かると書いてありました。子どもに対し、「2歳ならこれくらいできなければ」と、勝手に子どもの成長基準を設けることは、「普通のお母さんはこうするべきでしょ?」「◯◯ちゃんのお母さんはこうしてくれるのに。」と子どもに他のお母さんと比べられることと同じだ、と。「お母さん、このくらいやって当然でしょ?」「なんで、こんなこともできないの?」と子どもに言われたら、きっと、「理想の母親像と私を比べないで、私自身を見て」と思うと思います。

 「あなたを信頼しているよ」という言葉をかけてもらえれば、それだけで力が湧いてくる自分がいるし、それは、きっと息子も同じ。息子を信頼し、受け入れ、愛すること。そこからブレないようにやっていきたいと思いました。

 すべて為されているならば、私たちは何もしなくていいし、信頼だけしていればいいはず。その中で、2人が喜べるものをやっていく。ゆるしだけをやっていくことで、子どもがどのように成長するのかを見ていきたい、と思いました。

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